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義務教育終了後の足跡⑩: 適応障害から新天地へ

結婚が決まり、プライベートが順調であったのに対して大学には通えない状況が続いていたところまではnoteに書きました。

春休みも終了し、晴れて博士課程に進学した私でしたが相変わらず思うように大学に行けない日々が続きました。朝起きても布団から出る気が起きない。体がだるい。ぼーっと布団の中にいると時間だけが過ぎて謎の焦燥感から動悸が激しくなる。無理やり体を起こしても動く気になれない。そうこうしていると夕方そして夜になり何もしてない自分に嫌気がさしてむしゃくしゃする。気持ちが落ち着かないせいで夜も眠れない。そしてまた朝が来る。こんな毎日でした。

通院しながら処方された薬を飲みつつ、調子がいい時は大学に行ったりもしましたが研究室まではいくことが出来ず保健センター(高校までで言う保健室みたいな雰囲気)に入り浸る。そんな生活を春から夏くらいまで続けました。そしてそんな状態の中、ついに入籍します。入籍したのにこんな状態でいいのか。悩みに悩んでとうとう決断します。

「大学院を辞めて働こう」

きっとこのモヤモヤは結婚のプレッシャーから来てるのだろう。結婚するのに収入もなければ博士号取得のモチベーションもない。働いてしまえばこのモヤモヤは晴れるはずと考えました。そして急遽就活を始めることにします。しかし、もうすでに夏ど真ん中でしたので決断の時期としては少し遅く、次年度の採用はほとんど終了していた時期でした。大学の就職支援室やインターネットで情報を漁りましたが中々見つからず。ハローワークにも行きましたが自分が望むような採用案内はありませんでした。というより、どんな仕事を望んでいるのかすら明確じゃなかったので当然見つかるはずもありませんでした。

就職がダメなら今からでも何か資格を取ろう。どうせ元々あと数年学生をする予定だったんだし、別の学校に通ってもいいかもしれない。と急に考える時もありました。自分の心理状態がなぜこのような状況なのか知りたかった私は、図書館で心理学や精神疾患の本を読み漁っていたので、心理系の資格に興味を持っていました。他の大学院に再入学して、臨床心理士や公認心理士になってもいいかもしれないと考え、色んな大学を調べたりしていました 。

急に就職活動を始めたり、他大学院について調べ始めたりと少し暴走気味の私を、妻はしばらく横で黙って見ていましたが、ある日

「せっかく博士号を取ろうというところまで来たんだから、分野とか大学を変えてでも博士号を取得してみたら?意味や目的を考える時間は沢山あるし、ゆっくり考えればいい。あなたを養えるくらいの稼ぎが私にはあるし」

と言ってくれました。稼ぎの部分は言っていたかどうかちょっと記憶が定かではありませんが、この言葉に救われた気がしました。救われたということは本心ではやはり博士号を取得し、研究者として生きていきたかったんだろうと思います。色んな要因が邪魔して本心が見えなくなっていたのかもしれません。

そこから改めて自分が興味がある分野、研究したい分野、博士課程に進学して博士号を取得する意味、目的についてじっくり考えました。研究したいことが出来る大学を探してはメールを送り、面談を繰り返しました。

その後紆余曲折を経て、とある大学の先生に拾ってもらい、その先生の元で一から勉強と研究を始めました。縁もゆかりもない私から急にメールが来たときはさぞ驚かれたと思いますが、よく受け入れて下さったなととても感謝しています。
しばらくは適応障害と付き合いながら自分のペースで大学に通っていましたが、この時の私は博士進学の目的がクリアになっていましたし、1年近く悩みながらも休息を取れていたので、エネルギーが十分たまっていたこともあってほとんど症状も出ることがなく楽しく研究が出来ていました。新しい環境というのもよかったのだと思います。

そして、大学を移って研究生期間1年と博士課程3年の計4年を経てついに2021年3月に博士号を取得することが出来ました。そして博士課程在学中に子宝にも恵まれ、家族3人で日々奮闘中です。今でも、たまに精神的なエネルギーが枯渇して休息をとることもありますが、そんな自分とうまく付き合いながらこれからも研究をしていければと思っています。

バリバリの研究者には私の体力や性格を考えると中々なれなさそうですが、私なりの視点で色んな発見をこれからしていきたいです。高校での不登校に始まり、大学でも不登校、さらには適応障害と様々な経験をしてきましたが、こんな経歴の研究者もいるのか、特別優秀じゃなくても研究者になれるんだな、などなど色んな感想を持ってもらえたらと思います。

さて、自分語りはこれくらいにしておきます。

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