義務教育終了後の足跡⑦: 修論から病み期
修士課程に進学し、とりあえず目の前のやることをひたすらやっていたら「能力の伴わない成果」が積み重なっていったことまではnoteに書きました。
あまり深いことを考えず、理解せず、言われた通りに(もちろん多少自分で色々考えてはいましたが)研究を進める修士課程。
ちなみに修士1年の冬頃に、今の妻とお付き合いを始めることになります。妻は年齢が一つ上で学部4年で卒業していたので、この時社会人2年目でした。大学は私と違いましたが、妻も大学で軽音学部に所属しておりました。大学同士が近いためよく大学合同のライブを開催しており、接点はそこにありました。とは言え妻が在学中はほとんど話したことはなかったのですが、共通の後輩の仲介により接点が増え、お付き合いに至ったという経緯です。妻は精神保健福祉士の資格を持っており、仕事は精神科での社会福祉士でした。なぜ職業をここに書いたのかというと、妻の職業が後の私を救うことになるからです。
話を戻しますが、修士課程で講義や研究、学会参加などをとにかくこなし、修士2年の春ごろから就職活動が活発化してきます。私はというと、先生に博士課程進学を勧められたのを理由に進学を決心しておりましたので、就活は全くしておりませんでした。実際、研究も楽しいと感じてきていましたし。
他の同級生が就職活動をしている中、黙々と研究に励みます。当然成果もそれだけ出てきますから、何となく「博士としてやっていけるかも」みたいな漠然とした自信みたいなものが湧いてきます。同級生より研究が進んでいるし自分は研究に向いているのかも、とも思いました。同級生は就職活動をしながらなのに対して私は研究だけしていたので当たり前なんですけどね。
そうこうしているとあっという間に修士論文の執筆時期になります。私は博士進学が決定していたので、修士論文の執筆はもちろん行いますが、その内容を学術雑誌(英語)にも並行して投稿しようという話になりました。研究者は業績が命です。修士論文は修士の学位を取るために必須ですが、書いて当たり前なので業績にはなりません。なので、研究者は研究成果を論文にまとめて、査読(専門家による審査みたいなもの)付き学術誌に投稿し、掲載OK(アクセプト)を勝ち取ることで業績を積み重ねます。これが本当に大変なのです。もちろん業績は論文だけでなく学会発表も入りますが、論文の重要さは学会の比ではありません(と私は思っています)。
この、修士論文と投稿論文の並行作業が私にはとてもハードルが高いものでした。投稿論文については、まず英語で論文を書くのが初めてなので何をどう書けばいいか分からない。修士論文については、結果はあるものの言われたとおりにして出てきただけの結果ですし、あまり深く考えていなかったせいか勉強不足で、まとめるための背景知識が全く身についていない。結果をまとめるための背景知識がないことは投稿論文の方でも共通して私を苦しめます。自業自得なんですけどね。
そして、この修士論文や投稿論文の執筆に対する姿勢も相変わらず「どう書いたら先生のチェックをクリアできるか」というものでした。研究成果をどうまとめるとインパクトを強調できるかとか、どのような言い回しを使えば読んでいる人はわかりやすいだろうとか、そういった視点は全くなく、とにかく先生のチェックをクリアすることを目的として執筆を進めます。卒論から全く成長していませんし、全くもって間違った姿勢なのですが、この時もこの間違いに気づかず、とにかく執筆しては先生に提出し、添削されたらその箇所「だけ」を修正して再提出。ある箇所を修正したら当然、その周辺とのつながりも見ながら関連して修正する箇所が出てくるはずなのですが、全体が見えていない私はそのことに気づかず、同じ指摘を何度も受けます。
次第に先生に添削を依頼するのが怖くなり、添削結果が返ってくるのも怖くなりました。原稿を添付したメールの送信ボタンを押すときは、とてつもなく鼓動が早くなり、手が震える、なんてこともありました。
元々「先生に怒られない為」という小学生みたいな理由で研究を行っていたので、添削は怒られているような感覚に近く、心へのダメージが大きかったんだと思います。添削というものが何なのかをしっかりとらえられていればこんなことにはならなかったはずなのですが。論文執筆の目的もズレていましたしね。
〆切も近づいてきますし、とにかく執筆時間を確保せねば、修正の速度を上げなければとある種強迫観念に駆られ、睡眠時間を削り、ご飯の時間を削り、お風呂の時間を削り...と、研究室のパソコンにほぼ24時間向き合う生活が始まります。3~4日ほどお風呂に入らなかった時や、1週間の総睡眠時間が6時間なんて時もありました。今振り返ると完全に異常なのですが、その時はそれどころではなく、論文を書かねば、先生のチェックをクリアしなければ...の一心でした。
そんな状態で頭が働くわけもなく、執筆も進まないし修正も全然できない。それがさらに私の焦燥感を煽り、休んでる場合じゃないと睡眠時間を削る。どんどん悪循環に陥っていきます。そして次第に、
「自分は博士に向いていないのではないか?」
「そもそも何のために研究していたのか?」
「成果は出ていたが自分は全く成長していないのではないか?」
「修士号を取るに値しない人間なのではないか?」
といった考えがグルグルと頭の中をめぐり始めます。高校の時に捨ててしまった「深く考えること」がここにきて蘇ってくるのですが、時すでに遅しといったところでしょうか。
大学から修士にかけての自分の意識の低さが招いたこの生活が、私の精神を徐々に蝕んでいきます。
今日はこの辺で。
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