『THE FIRST SLAM DUNK』のおすすめポイントを語ってみる
こんにちは、採用コピーライターのオヤマダです。
年末進行の仕事が忙しくて、この映画を観てから3週間くらい経ってしまって今さら感があるのですが、映画レビューを書いてみたいと思います。まだ見ていないという人は参考にしていただけると幸いです。
個人的評価:名作
『THE FIRST SLAM DUNK』は、原作漫画の最終章といえるインターハイ第二戦、高校バスケ界の頂点に君臨する王者・山王工業戦をアニメ化した作品です。90代のテレビアニメ版は打ち切りになってしまったため、山王工業戦まで映像化されていなかったのですが、26年の時を経て、まさかの映像化。しかも、最新のアニメーションCG技術を使っての映像化です。
映像化と言っていますが、90年代のテレビアニメ版の延長にある進化ではなかった点に僕は驚きました。テレビアニメ版も名作で、当時のアニメにしてはよく動く作品だったのですが、あくまでも原作漫画のテイストを大事にしたアニメ化でした。つまり、漫画的演出、試合中に登場人物たちが心の中に思ったことを心中のセリフで説明するシーンは絵が止まっているみたいな部分があったわけです。
ところが、『THE FIRST SLAM DUNK』は動く。とにかく動く。本物のバスケの試合であるかのように、試合中の登場人物たちは動きまくる。そう。映像化といっても、ほとんど動きが止まらない試合の雰囲気を再現した映像化なのだ。これはセルアニメでやった場合、大変な作画枚数になってしまいます。だからこそのアニメーションCGなんですね。
近年のテレビアニメでも大胆な動きをさせる場合、CGが使われることが多くなってきましたが、「あっ、ここ、CGだ!」と分かってしまうものも少なくありません。分かってはいるけど興ざめポイントなんですよね。でも、『THE FIRST SLAM DUNK』はそれがないのです。不気味の谷といわれている違和感を超えたCGクオリティ。これがすごい。マジでやばい。クリエイターのインタビュー発言はムカついたけど、仕事は認めざるを得ません。
CGアニメというと、ピクサーとか海外作品が最先端で、日本でも山崎貴監督が頑張っているんだけど、どうしても二番煎じ感が拭えないと思っていました。でも、『THE FIRST SLAM DUNK』は、日本の漫画キャラクターを活かすCGアニメの新しい方向性を指し示してくれたと思います。それくらい高い技術力に支えられた作品でした。
という点で、観ておいたほうがいい映画として、個人的には「名作」だと思っています。
原作を読んでおくと泣ける
べた褒めをしている『THE FIRST SLAM DUNK』ですが、問題点がないわけではありません。それは、映像化しているのが原作漫画の最終章といえる山王工業戦というところです。
『SLAM DUNK』における山王工業戦は、日本のスポーツ漫画史に残る屈指の名作で、インターハイ第二戦であるにも関わらず「これがラストで納得できるッ!」という内容でした。圧倒的に格上の山王工業を相手に、個々の能力は高いけれども問題児だらけの湘北高校バスケットボール部が、これまで積み重ねてきたものすべてを絞りつくして、奇跡のジャイアントキリングを成し遂げるという内容なのですが、これがもうヤバいわけですよ。
どうヤバいかというと、山王工業戦より前の話がすべて、山王工業戦のプロローグになっているともいえる構成になっていて、これまでの出来事がすべて、この戦いに勝つために積み上げられてきた、みたいな伏線回収が怒涛の勢いでなされていく試合展開なわけです。
このあたりについては別の記事で熱く語っているので、興味がある方はそちらを読んでください。
そんな山王工業戦なわけですから、鑑賞して最高のカタルシスを感じるためには、『SLAM DUNK』は絶対に読んでおいたほうがいいわけです。しばらく離れていた人は、もう一度、きちんと読み返しておいたほうがいいわけです。湘北高校バスケットボール部が歩んできた軌跡を追い直しておいたほうが、間違いなく、グッと来ます。
間違いありません。
ところが、今から30年前の作品である映像化である『THE FIRST SLAM DUNK』は、ただの『SLAM DUNK』の映像化ではありませんでした。スラムダンク世代である僕たちが知っている山王工業戦の映像化ではありますが、僕たちの知らない山王工業戦でもあったわけです。
それが、宮城リョータを主人公にしたことであり、新たに語られる宮城リョータが山王工業戦に背負っていたものの話という新要素です。
最高の原作に欠けていたピースの補完
『THE FIRST SLAM DUNK』では、原作漫画では描かれていなかった宮城リョータの昔の話が語られます。ネタバレになるのでくわしくは書きませんが、内容としては結構重いもので、週刊少年ジャンプ向きではありません。原作者の井上雄彦先生が青年誌に活動の場を移してから描いた障がい者バスケットボールをテーマにした作品『リアル』に近い内容です。井上先生が「傷のある物語を描きたいと思うようになった」とおっしゃっているように、宮城リョータにも心をえぐられるような過去があったことが語られます。
この新要素、つけ足し感がまったくないのです。
むしろ、なぜ、原作漫画に描かれていなかったと思うくらい、書けていたピースがぴったりとハマる感じでした。思い返してみると、たしかに宮城リョータは語られていないキャラだったんですよ。山王工業戦は、湘北高校バスケットボール部の面々が、それぞれが抱えている問題と向き合って乗り越える描写がありました。もちろん、宮城リョータにも試練を乗り越える描写はあったのですが、赤木、三井、流川、桜木の他のメンバーに比べると、ちょっと弱いというか、インパクトに欠けるところはありました。もっというならば、初登場からちょっと掴めないキャラで、三井との関係(バスケ部にいなかった経緯)も伝聞で終わっていたと記憶しています。
ところが、『THE FIRST SLAM DUNK』で描かれた宮城リョータの話は、原作の足りていない部分をしっかり補完するものでした。黒と赤の二つのリストバンドも謎も解けました。『THE FIRST SLAM DUNK』を観た後で、原作最終回のバスケ部に残っている三井と、新キャプテンになった宮城リョータの掛け合いを見ると、別の感情が湧いてきます。
さいごに
人は生きているうちに、いろいろなものを失っていくものです。失って初めて、その大きさに気がつくことも多く、人生とはいつも少しだけ遅く、何かが足りない状態が続きます。
生きることとは「向き合うこと」なんじゃないかと最近考えます。自分が置かれている状況をどう考えてどう捉えていくか。そして前に進むしかないのです。そこに正解や不正解はありません。
40代になった自分にとって、『THE FIRST SLAM DUNK』はそんな応援歌のような映画でした。