「天皇」が日本を滅ぼす理由。


事実上は「誰か」が決定したのだが、誰もそれを決定せず、かつ誰もがそれを決定したかのようにみせかけられる。このような「生成」が、あからさまな権力や制度とは異質であったとしても、同様の、あるいはそれ以上の強制力を持っていることを忘れてはならない。(柄谷行人『批評とポスト・モダン』1985年)


思想史が権力と同型であるならば、日本の権力は日本の思想史と同型である。日本には、中心があって全体を統い御するような権力が成立したことがなかった。〔・・・〕あらゆる意志決定(構築)は、「いつのまにかそう成る」(生成)というかたちをとる。〔・・・〕日本において、権力の中心はつねに空虚である。だが、それも権力であり、もしかすると、権力の本質である。〔・・・〕

見かけの統合はなされているが、それは実は空虚な形式である。私は、こうした背景に、母系制(厳密には双系制)的なものの残存を見たいと思っている。それは、大陸的な父権的制度と思考を受け入れながらそれを「排除」す
るという姿勢の反復である。

日本における「権力」は、圧倒的な家父長的権力のモデルにもとづく「権力の表象」からは理解できない。(柄谷行人「フーコーと日本」1992年 )

これらの原因に「天皇」とその無責任が、大きく関わっている。


日本では自衛隊ですら「上官の命令責任」が曖昧である。

これは、自衛隊が「まともな防衛組織」でなく、「まともな組織」ですら無い証拠でもある。

それを、私なりに説明してみる。


上官の命令で、部下が動く。

その命令で、虐殺等の戦争犯罪を起こしたとしたらどうか・・・

日本では「上官の命令に違背することは、即違法。」と自衛隊でも。旧軍でも「上官の命令は天皇の命令」で違背は、即違法でなんなら処刑だ・・。

それで起こされた戦争犯罪は、部下は抵抗して止めれない。止めたら即死だしな。

なら、それで起きた戦争犯罪の大きな責任は、実行犯の部下よりも、命令を出した上官に多くある。

それが、マトモな論理展開で、世界のどの国家も、この論理で法律・軍法が作られている。

そこで、部下が「これはおかしいし、下手したら軍の信用を失って敗亡の元にすらなる」と「抗命」して、止まれば「戦争犯罪」は予防できる。

また「抗命権」を認めると、それを認めないことで「全部の命令責任」が、上官に掛かるのを、部下が「抗命権」を持つことで、軽減ができるのだ。
「なら、そりゃ、反対したらいいし」って論理が通用し、それが軍隊・組織内で通用していたら、正当な抵抗が可能になる。

またそれでおきた戦争犯罪は、上官に責任が第一に有るが部下も「抵抗しなかった」と、責任の分担が起きて、個々への責任が軽減される。

なら「上官の命令責任」を明確にして、「抗命権」を規定し認めた方が良いはずである。


続きも書きます。








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