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先祖供養は、、、子孫と先祖の助け合い・・か。


今日、須磨寺に参拝して、経木の水かけ供養をした。


で、帰路で、ふと思ったのが

「先祖供養とは、子孫と先祖の助け合いではないのか」

て。

先祖とはいえ「神」でない。ので崇拝するのはね・・・
・・・で先祖は「仏教」とかの見地とかでいうと「地獄」等、良くない世界に行くこともある。
普通には天国というか極楽は、少し大変。極楽等で悟りを開いて解脱して、自由自在になるのは、まずない・・そのためには、まあ一応「外部」の援助が良いらしく、それを子孫がするのが「先祖供養」

で先祖を供養して助けたら、そのお返しに子孫を助ける・・・これが「先祖供養の御利益」ってモノの構造の一つらしいです。

先祖が子孫に「お返し」をしないってことは無いらしい・・・それを怠ると、先祖が地獄等の良くない世界にとどまり続ける原因になるし、次の「援助」への期待もあって、子孫に「ご利益」を返すのだろう。
まあ「礼は往来を貴ぶ」って礼記だったか・・・それは、先祖供養にも適応されるようだ。


ただ
「世代を超えて、延々と体罰・虐待」を受けている人もいる。
また「DVや性的虐待」を受けている人も多くいる。

そういう人らに「御先祖様を供養しましょう」って安易に言えないですよね・・・

そういう意味で、「先祖供養」ってもっと根っこの論理や現在生きている人の苦悩・絶望・事情を勘案して、さらなる「論理」「思想の派生」「作法の方法」とかなければ・・・ま、消え去るでしょうね・・「日本の在来宗教」ってね・・。


南無阿弥陀仏


阿弥陀如来 神戸太山寺


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