神道&仏教から見た明治維新は、文革である。 戴晋人{遍照飛龍} 2023年3月17日 20:13 神仏習合についての個人的意見いわゆる神仏習合というのは古代(平安時代)から中世にかけての神道解釈で、神の世界を仏教概念を使って理解しようとしたものではないかと思う。中世後期になると、吉田神道のように、神への祭祀を仏教の修法でより効果的にしようとしたのではないか?— 福廣 (@anchorworks1971) March 16, 2023 神仏習合のそもそもは伊勢神道だが、仏教概念は密教のそれが取り入れられている。これは、密教には六道があって「天部」がおり、応身があり、三輪身があり、仏がさまざまな姿で「現に現れ」てくれるからではないか?— 福廣 (@anchorworks1971) March 16, 2023 近世になると金がかかり過ぎる吉田神道では一般化できないため、教義が体系的で、かつ、為政者にとってわかりやすい儒教によって説明を加えようと(アップデート)する動きがあり、吉川神道、続いて垂加神道が興ったのだろう。吉田神道も一般化できるよう「これとこれだけあれば」に変わっていった。— 福廣 (@anchorworks1971) March 16, 2023 近世は「身分制社会」だと思われているが、一方で身分は金で買えた。公家の家来身分や神主の位階は金で買えた。もちろん、山伏の身分も金で買えた。幕府が神主身分を吉田家に公認させ、吉田神道が「合宿制免許講座」みたいなことを続けていると、江戸後期には白川家が巻き返しを図る。— 福廣 (@anchorworks1971) March 16, 2023 それ以外にも、荷田春満さんが古典を研究し、竹内式部が他を差し置いて聖上に日本書紀の講読して宝暦事件が起きたり、一方で、地方史家の本居宣長って御隠居さんが「古事記を発見」したりする百年余の流れの中で、外国との対比で「日本再発見」の如くに「国学」なんてブームが起きた。— 福廣 (@anchorworks1971) March 16, 2023 国学は金持ちの道楽みたいな面があり、四書五経では飽き足らなくなった商人が国学者の私塾に入ったり、国学者を招いて地域名士の勉強会などを主宰して全国に広まった。武士が「こ、国学!」と興奮したり、神主が武士に混じって政治活動するのは幕末の20年余。庶民は石田梅岩の「石門心学」やってた。— 福廣 (@anchorworks1971) March 16, 2023 幕末は、外国が身近に迫り、飢饉は頻発するし、大地震が何度も起こるし、不安が増した。こういうときにはあっちこっちで「神さんを感じた!」人が現れる。不思議なのはそれが教養人でないことが多いこと、田舎の人であることが多いこと。やっと来た。幕末の「カミサマ」は「アンチ教養」なのだ。— 福廣 (@anchorworks1971) March 16, 2023 真言宗、天台宗、神仏習合の神宮寺。ここらは金と教養。吉田神道も伯家神道も金がかかる。修験道もそれなりに金がかかるし、かなり時間がかかる。国学は先生につかないと学べない、弟子入り必須。— 福廣 (@anchorworks1971) March 16, 2023 明治政府、というより神祇官、神道事務局に集った国学者が神仏判然と言いだしたのは、外国を感じたことによるナショナリズム(攘夷思想)もさることながら、デコラティブで「よそさんの概念で説明しなければならない」こと──ある種の「教養主義」を破壊したかったんだな、と。— 福廣 (@anchorworks1971) March 16, 2023 どうも、「明治維新」とは、一種の文化大革命だった。しかも、それを150年否定してない。そりゃ、社会の思想の水準が上がらんわけだ。 ダウンロード copy いいなと思ったら応援しよう! チップで応援する #幕末 #神仏習合 #反知性主義 #国学 #吉田神道 #国学者 #反教養主義 #明治維新は反知性主義クーデター