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「継続」など、日本の学校教育には無かった。そもそもネトウヨの増殖も甲子園野球もそれを示している。



日本の学校教育の本質は「継続しない」ことにある、て思っている。

そもそも「向学心」を大人まで維持するような教育がされた覚えがない。

スポーツでもそうだった。


多くの国では、指導者は、小学生には「野球を好きになってもらうこと」を目標にしている。野球は他のスポーツよりも複雑で、プレーできるようになるまで少し時間がかかる。それを覚えて「野球は楽しい」と思わせる。そして「野球を好きな人」にすることこそが、指導者の最大の目的だ。
日本の従来の指導者には、こうした視点が欠落している。
小学校時代に大人に仕込まれて身に着けた技術などは、大して重要ではない。中学でも高校でも、何度でも学ぶことができるのだ。
しかし野球が嫌いになった子供が大きくなっても、野球に戻ってくることはほとんどないのだ。
「小学生の盗塁」の背景には「野球離れ」に関わる深刻な問題が存在しているのだ。


野球嫌いにさせるための「野球部・野球クラブ」だしな。


なんどもいうけど管仲が「人を育てるのは100年の計」


日本人でそこまでしたのは、江戸幕府だけだった。


天皇は「忠誠心のある肉ロボット」しか要らんので、今も「ワクチンで靖国」を国家が推奨。


まあ、それに気づかないように、「継続的に学ぶ意思を破壊する教育」が行われているのだよね、明治以降延々と。



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