「弱さ」を受け入れ虚栄心が無いのが、強い。

上記文抜粋
・・・・・・・・・・・・・・・

徳川家康さんといえば
日本で知らない人は
いないくらいの有名人ですが
当たり前ですが家康さんの
本当の姿を知っている人はおらず・・・

和尚さんももちろん
知らなかったのですが

和尚さん:『雨の中
やっと日光東照宮に
辿り着いたと思ったら
めちゃくちゃ人が多くて
それでやっとお参りさせてもらおう
と思ったら痩せた小さい人が
突然目の前に現れるから
最初は家康さんやと思わなくて
"えっ・・?誰・・・?"
みたいになって固まってたんや~』

しのぶ:『えぇ~・・・(;・∀・)
なんかこう黄金の葵のご紋が
バーンって現れて、お付きの人が
この方をどなたと心得る?
恐れ多くも徳川家康さまなるぞ?
みたいな紹介とかないの?』

和尚さん:『ないない。
小柄なおっちゃんが立ってるだけで
胸に"徳川家康"って名札が
あるわけでもないしな。
それで呆然としてたら
"家康ちゃんでいいよ"って
言われて』

しのぶ:『・・・それ
絶対に呼べないよね・・・( ̄▽ ̄;)』

和尚さん:『そうそう。
呼べるわけがないやろ~って
心の中で思ったけどなあ~。
でも・・・・』

和尚さんが
記憶を辿るように

和尚さん:『家康さんは
小柄で細い人やったけど
目だけは鋭くて迫力が
あったというかやっぱり
天下を取った人なんやなって
思ったなあ』

しのぶ:『そっかあ・・・。
でもそうだよね~。
豊臣秀吉とか織田信長とか
たくさん戦国武将っているけど
結局最後に天下を取ったのは
家康さんなんだもんね~』

和尚さん:『家康さんが
言うてはったけど自分は
天下を取るつもりは全然
なかったって。』

しのぶ:『えっ・・・?(・_・;)』

和尚さん:『最後の最後は
みんなから徳川殿徳川殿って
頼られたから動いたけど
天下を取ろうと思った事は
一度もなかったって言うてはる。』

ええーーー!?∑(゜ロ゜ノ)ノ

しのぶ:『そんな事って・・・・。
だって、豊臣秀吉だって
織田信長だって天下統一を
目指してたのに取れなくて・・・
それなのにちっともそれを
思ってなかった家康さんが
天下を取ったって事?』

和尚さん:『うん。とにかくずっと
生きていくのに必死で
自分とこの家を守るのに必死で
あっちこっちについて我慢して
誰についたら家が滅びずに
済むかってひたすら
考えてたんやって。
それで、気が付いたら天下が
手の中に転がり込んで
きただけだって。』

私今回の大河ドラマは
全く見てないのですが・・・

まさしく

『どうする?家康』

みたいな日々の
連続だったのでしょうか。。。

和尚さん:『家康さんが
一番怖いと思ったのは
武田信玄で、秀吉は怖くないけど
とにかく人気があったって。
信長さまは怖かったけど新しいものや
世界に目を向けた考え方に
すごく感銘を受けたって。
でも天下を取ろうとしたものが
みんな滅んで言ったっていうてはる。』

私はその時代に
生きていたわけではないので
本当の所は分かりませんが

武田信玄とか秀吉とか信長とか・・・
みんな飛びぬけて頭が良くて
普通の凡人とは
発想とか考え方とか
頭の良さが全然違うという
そういうイメージであるのですが

でも最終的には
みんな滅びていって。。。

最近神さまが
教えて下さったお言葉の中で

"目標といって別に大きな目標を
立てる必要はない
小さな目標を立てて一つ一つ
乗り越えていくことの方が尊いのである"

というお言葉が
あったのですが
家康さんの事を聞いて
そのお言葉が頭によぎりました。

家康さんは
毎日どうやったら
家を守って生き残れるか
という事を考えて考えて
その都度乗り越えて
気が付いたら手の中に
天下が転がり込んできていた。

神さまは目の前の目標を
一つずつ確実にクリアして
コツコツと積み上げていく事が
やがて揺るぎない基盤となり
大きな目標を達成する事に
なるという事をおっしゃられて
いるのかなあと思いました。

和尚さん:『家康さんが
"歩きながら考えろ"って
おっしゃってるよ~。
家康さんの口癖というか
モットーみたいな言葉みたい。』

"歩きながら考えろ"

その口癖の中に
家康さんの人生が
集約されているような
そんな気がしました。

徳川300年の歴史は
こうした家康さんの
地道で時間を無駄にしない
考え方が築き上げた
ものだったのかもしれません

和尚さんを通して
神さまや色々な方からの
お話を聞かせて頂いて

私なりの解釈で記事を
書いてしまっているので
間違っている事も
あるかもしれませんが

またこれからも色々と
神さまに教えて頂いた事や
色々な事をブログに書いて
いけたらと思います

・・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・・
抜粋終わり

家康は、弱かった。

弱かったから、考えた・・・

それが生き延びて、挙句に「天下」をとってしまった。


お代さんやイタコさんが昔多かったのは、世の中が厳しい時代だったから。
生きるか死ぬかの体験を経て、目覚める場合がほとんどだった。
ある意味で、生き抜くために必要な能力であったと考えても良いだろう。

実は海外でも研究されていて、世の中が安定してくると、
そういう感覚を持つ人が減っていくというのである。
だから現代ではお代さんやイタコさんは激減した。

弱いから、危機とかに余計に敏感になる。

でも、それはある意味で強さにもなる。

陳舜臣さんの小説で「弱いから考えて、危機を察知したり、工夫を凝らす」って記述があるが、それです。

ただ、それを「強さ」と奢ってしまえば、それが身を滅ぼす。

先日載せた記事   で


 強すぎる虚栄心は、ともすれば他者への差別意識につながります。高学歴で完璧主義の親御さんが「わが子に自分と同じ道を辿らせてあげないと不幸になる」と思い込む裏には、差別と偏見がある気がします。

てあったけど、この「強すぎる虚栄心」は、成功した傲慢と、その過程での傷つきの弱さの混合物なのだけど。

何となくね…思い出すのが

 劉秀は人と呼び話をするとき、上座から見下ろして話すのを嫌って、横に並んで話すようにしていた。
 劉秀はごく数例の例外を除いて、「朕」という皇帝の一人称を会話ではほとんど使わず、「我」か「吾」を使った。会話でも意図的に権威を見せたいときや、法的な意味を持つ詔の文中でのみ「朕」を使ったのである。相手に自分が皇帝であると意識させるのを嫌っていたのである。
 劉秀は無意味に自分をあがめようとする行為を嫌った。上書で皇帝を呼ぶときに聖とつける人が多いので「聖」を禁句とし、聖のつく文書をすべて無効として拒絶した。形式的人を崇めるのを嫌ったのである。

この人、実はめっちゃ強いけど・・


 ところが劉秀は将軍であった頃はもちろん、皇帝になっても剣を手に敵中に斬り込み、敵を打ち破る。しかもそのとき周囲の家臣が諫めたという記録すらない。他の将軍たちにとって、劉秀自ら敵中に突入して戦うのは普通のことであって、疑問の余地がなかった。

 劉秀は将軍として天下統一まで無数の戦いを経験しながら、敗戦はただの一回のみ。自ら将軍として全滅及び降服させた敵軍の総数は、実数で二百万人前後、多く見積もれば五百万人近いと考えられ、これは人類史上の世界記録であると考えられる。チンギス・ハーンやアレクサンダーなどは、占領した面積は広大だが、倒した敵軍総数は多くないのだ。対して劉秀は、中国という人口の密集地域で、農民反乱という人数の多い敵と多く戦い、部下の将軍が苦戦したとき最期の段階に劉秀が出てきて相手を降伏させることが多かった。朱鮪、赤眉、隗囂などは劉秀が後から来て大量に降伏させているのだ。
 ただし劉秀は他の名将に比較して、敵を殺さないところに特徴がある。例えば、戦国時代の名将白起は百五十万人近くを破り、そのうち約百万人を殺しているが、対して劉秀は、二百万の十分の一程度の二十万人が戦場で戦死したと見られるものの、半数の百万人は降伏させて、自軍に編入したり帰農させているのである。一人の将軍が降伏させた総数の人類史上の世界記録であるのは疑いようがない。
 これは劉秀は、兵力が少ないことから包囲殲滅線をやらずに、敵を疲労させて降伏に持ち込むのを基本にしていたからである。城攻めにおいても力攻めは決してせず、相手の内応があるまで攻撃しないなど、敵味方の人命損失を最小にすべく注意していたのである。天下を治める皇帝として敵兵もまた自分の臣民であると考えていたからである。

本当の強さは、虚栄心を捨てれるってことなのかもしれない。

あるいは「自分の弱さを受け入れるやつが最強」かもしれない。

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