より
上記文抜粋
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妣への祈り
前回の投稿「外密の衝撃力」の補足をしておこう。
肝腎なのは白い女神への祈りだ、宗教の原点はここにしかない。
もっともフロイトやグレーヴスよりも、事実上、折口が先行している。
ーー《匕は、妣(女)の原字で、もと、細いすき間をはさみこむ陰門をもった女や牝(めす)を示したもの。》(漢字源)
ここでさらに老子を掲げることもできるが。
谷神不死。是謂玄牝。玄牝之門、是謂天地根。緜緜若存、用之不勤。(老子「道徳経」第六章「玄牝之門」)
孔徳之容、唯道是従。道之為物、唯恍唯惚。惚兮恍兮、其中有象。恍兮惚兮、其中有物。窈兮冥兮、其中有精。其精甚真、其中有信。(老子『道徳経』第二十一章)
最近は古来からの常識がなくなってしまったからな、不幸な21世紀だね。
そもそも原始ヒンズー教(タントラ教)起源の彫像群を少しでも眺めれば(たとえばカジュラホ[Khajuraho])、どうして神はオメガΩではないなどと錯覚することができよう?
以下、バハオーフェン『母権制』 (1861) 、グレーヴス『ギリシア神話』 (1955) 、ウォーカー『神話・伝承事典失われた女神達の復権』(1983)をベースにした、さる女子大の講義論文。
最後に、限りなく美しいイナンナInanna(別名イシュタル Ishtar)ーーシュメールの母なる大地としての女神ーーの最近発掘された彫像を掲げておこう。
ここに表象されているのは小文字のオメガである。
小文字のオメガももちろん重要であるが、さらに重要なのは大文字のオメガである。
実は蚊居肢子は根源的宗教家であって、書斎の棚にはジャコメッティ沈思カイエ像を中心に沈黙の女神たちが飾ってある・・・
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抜粋終わり
最近、気が付いたことだけど「易」で「母は陽」とは、「父が存在しない」ではなく「すべての人間は、母から見たら子供である」って厳然たる現実である。
その後のアホどもが「母を崇拝」し「女を馬鹿にする」ことで、そのことを、軽視し、挙句に女性を軽蔑しだした。
それはなんとフェミストもほぼ間違いなく。
母性崇拝~裏面での女性蔑視・ミソジニ~者たちは、裏からの「母性蔑視」だし、フェミスト~裏面での弱者女性蔑視・強者崇拝~も間違いなく女性蔑視&母性軽視なのである。
ゆえに老子の言うように
「我れは独り人に異なり、而して母に食(やしな)わるるを貴(たっと)ぶ。」{20章}
である。。
おまけに・・・・・。
仏教の「般若」は、「仏母」であり、「般若心経」は、「般若の知~仏母の般若菩薩」の真言をたたえる「密教経典」でもあるのだよ。
天皇の無い 蒼い空を取り戻す
慈悲と憐みに富む社会になりますように