再度載せるけど。
これって、つまるところ
「通俗道徳での、「努力即成功」ができないと、悪徳の烙印を押される」ってことから、逃げるため・あるいはその無謀な迫害からの脱出のために、「先祖のために自分が不幸」って決めつけることで、「自己責任論」で掛かる、不当な弾劾からの自責から逃れれるので・・・
自己努力・自己責任だけで、成功するわけがない。
それを「全部お前の責任」ってなると、自責して自死するとか、カルトに走るのは、当然な話になる。
努力が成功を保証する・・・て訳が無い。
「学問が、成功を保証するか」と孔子が弟子に聴かれて、それの判断を孔子はしなかった。
第一、孔子の門弟筆頭の顔回は餓死同様な病死で、早世した。
三国志の名軍師荀彧の息子の荀サンが
「成功するのは、その人の志向と努力が、時代・時勢に合致しただけ。成功したからと言って、その人が偉い・賢いとは、断定できない」
と言っている。
時代があえば、発達障害で障害者とされている人たちも、高度成長期とかは、普通に雇用されて、なんとか就労出来ていることも多かった。
今の過酷な就労環境では、少しでも空気を読めないと「障害者枠」でなければ、過去なら「大過ない」程度の発達障害でも、健常者枠での雇用は至難になっているし。
逆に、障碍者枠で、多くの障害者を以前より雇われることになった・・てそれでも就労を望むの人からしたら、少数の椅子でしかないが・・。
また、発達障害とか障害とかは、自己の努力だけでは如何とも出来ないことが多い。
それを「自己責任」言われても、無理な話・・・
そりゃ、国家・社会の不備を問えず、時勢の合わないことも指摘できないとなると、先祖を怨むか、邪教を信じるかしかないようになりもする・・
仏神を信じ、儒家的な倫理観なり思想を持てば、それなりに社会・国家に「突っ込み・糾弾」をするようになる。
その土台の信仰と思想を、通俗道徳・明治維新で、破壊される。
となると、統一教会だの、ソウカなり、耶蘇とかのカルトが跋扈するのは、必然なのだろうな。
天皇の無い 蒼い空を取り戻す
慈悲と憐みの富む社会になりますように。