【徒然】クォーター・ライフ・クライシス
あまりnoteでネガティブな話はしたくないけど、「ネガティブだって大事な君のカケラ」と、戦ってるあのロッカーが歌詞で綴っていたので。
最近知った言葉、「クォーター・ライフ・クライシス」。
人生100年時代においての4分の1、つまり20代後半から30代にかけてのお悩み期のことを言うらしい。
ああ、僕もこれやったんやなあ、と。
社会に出てから、とりわけ25歳を過ぎたあたりから、数カ月に1回くらいのペースで「何やってもうまくいかない・何考えてもネガティブになる」みたいな時期がある。
原因は複数あるのだろうけど、それゆえにズバッと解決とはいかず、趣味やストレス発散をしても、どことなくモヤモヤが残り続けるような、「なんとなく虚しい」というこの感覚。
ちょうど今、その時期が来た。
幸か不幸か、いわゆる鬱みたいな感じとは違って、日常生活は普通に送れている。ミュージカルだって見に行くし、好きなカフェに行ったり、新しい服を買ったり、それなりに人生も楽しんでいる。
この秋はポルノの新譜リリース&ライヴもあるし、観たいミュージカルも多すぎて楽しみが止まらない(エリザベートとキンキーブーツはチケット争奪戦が乗り越えられるか心配)。
筋トレや水泳で体も動かしているし、最近はメンズメイクにも手を出して、一部分とは言え楽しんでいる。ご飯だって割と自炊頑張っている。
でも、なんか虚しい。
世間一般で「フツウの人生・生活」と言われるような、いわゆる典型的な幸せみたいな、そういうものから遠ざかっているような、そんな感覚に陥って、夜ごとベッドと一体化している。
僕は仕事にやりがいを求めていない。あー、求めてないわけではないけど、優先度は高くない。それなりに学生時代に勉強して、それなりの大学を卒業させてもらえたのだから、それなりに楽をさせてほしい。昇進して偉くなったその先に、夜遅くまでPCとにらめっこする管理者になんかなりたくない。でも、このまま定年まで、ただ老いさらばえて過ごすのも嫌。
僕の趣味は、一人で完結する趣味が多い。人と共有したり共感したりする必要が必ずしもない。しかも、どちらかというと女性が魅力に感じるようなものに、僕も魅力を感じることが多い(例:ミュージカル)。昔から、「同世代の人(特に男子)と感覚が合わない」とは思っていたけど。
「○○なら絶対いい人見つかるよ~」。これほど無責任な社交辞令はない。しかもあなたがたは「高みの見物」ですもんね。その言葉が一番傷つくんですけど。
「ふつう」っていう言葉は昔から好きではないし、その正体は実態のないもののような気もするけど、やっぱり世間には「ふつう」が存在する。そしてジェンダーで「らしさ」を語るのもまた好きではないけど、やっぱり世間には「らしさ」が存在する。
そして世間は、たいして責任も取らないくせに、普段は他人に興味もないくせに、いらん時だけ「ふつう」の「らしさ」を押し付けてくる。僕はそれなりに幸せに生きているのに、まるで不幸せな人かのように評価される。勝手に人を不幸にしんといて。
・・・という具合の思考が巡って、体が夜に溶けるような感覚。最初は鬱か何かかと思っていたけど、なるほど「クォーター・ライフ・クライシス」。そういうのがあるのか。
何でもかんでも名前を付ける、カテゴライズしたいという風潮はあまり好きではない(○○女子、○○男子とか)。一方で名前を与えられることで安心してしまう自分もいる。得体のしれない不安が一番の不安かもしれないという意味で、この不定期な不調を受け入れられたような気もする。
note書くのもやる気が起きずやったけど、書けばなんかスッキリした。誰のためにもならないとはいえ、ストレスをただ書いてみるというのも、たまにはいいかもしれない。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?