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もう少しだけ夢を見ていたい。【ショートショート#1】

セットしていたアラームに起こされる形で、目が覚めた。時計の短針は間もなく”9”を刺そうとしている。
身体をむくりと起こして、冷水で顔を洗う。昨晩、深夜2時頃までPCを叩いていたからか、瞼が重い。昨日よりもクマが濃くなっている。

使い古したケトルに水を注ぎスイッチを入れ、お湯が沸くまでの時間でPCを立ち上げた。始業前だと言うのに、メール通知がいくつも押し寄せる。件名に「Urgent」「Deviation」「Reminder」と入ったものも、パッと見ただけで何件か見受けられる。
少なくとも午前中はメールの対応に追われるだろう。途中で問い合わせの連絡が来たら、溜まった仕事を消化することは難しいかもしれない。

ため息が出る。30袋で300円、1杯およそ10円と破格の珈琲を淹れながら、重要度と緊急度から仕事の順序を考える。

問題の火消しをして、問い合わせを捌いて、理由の分からない不機嫌を電話口でぶつけられ、業務を多く残したまま定時を迎え、何か一品適当に作って冷凍ご飯を解凍して、夕飯と風呂はササッと済ませて、残った仕事の消化に時間を奪われて、気づけば日を跨いでいる。
過ごさなくても、容易に今日を想像できる。なんて退屈で、意味のない時間なのだろう。

僕は夢を見ている。こんな生活からいつか抜け出せるのだと、自分の才能が開花して何らかでステージを上げることができるのだと思い描きながら、誰にでもできるメール処理を始める。
眠気覚ましに珈琲を飲む。糖分を控えているのでブラックにしているが、やはり苦い。

メール処理は淡々と進む。サボらずきちんとこなしていても、チャットが飛んできたりメールが飛んできて、次から次へと積み重なっていく。
この仕事は、テトリスに似ていると思う。上から降ってくるパズルを淡々と消していく作業。そこにゴールはない。優先順位づけを間違えたり、対応の一部を見逃していたりすると、穴が空いて積み重なっていく。振り返ってみてみると、取り返しのつかない状態になっている。
僕たちはそれを恐れて、淡々と日々を消化していく。

この会社に入っていなければ、或いは学生時代から動画編集やプログラミングを学び、毎日コツコツと何かを頑張っていたら、今頃違う人生だったのだろうか。
最悪を恐れて納得できない今にしがみつくような、そんな自分ではなかっただろうか。

子供のなりたい職業一位に君臨する、YouTuberとして名を挙げた多くは私よりも歳下だ。同年代の野球選手は、去年からチームで主将を務めている。身近でも、結婚や出産の報告を受けることも増えた。みんな、自分を受け入れて人生のステージを進めている。もうそういう歳なのだ。

そんな中僕は、PCを叩きながら、今日も夢を見ている。
世間から才能を認められ、周りから尊敬を集め、好きなことだけをして稼いで、好きな人とだけ過ごす時間が、僕の人生の延長線上にあるのだと。

それをかき消すように、携帯電話が震える。どんな要件だろうが、対応事項が増えるのは確実だろう。深いため息が出る。
まだ、もう少しだけ夢を見ていたい。

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凡才
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