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賢者は「騙されて」学ぶ。

まさかとは思うが、騙されないことを「賢い」と定義していないだろうか。
もしそのように考えていて、騙されないように常日頃、怪しいものを遠ざけるような生き方をしているのであれば、考え直すことを強く勧める。

というのも、決して誇れることではないが、私はかつて「マルチ紛い」のビジネスに手を出していた。法律上はマルチ商法に該当しないが、人を勧誘することで自分にメリットのあるシステムだ。当初はその団体・システムが良いものだと考えていたので、何の悪意もなく声をかけることができていた。
しかし、団体に所属して3ヶ月ほどが経った時、決して安くはない金額を「毎月」「任意で」支払う必要があることを教えられた。支払わないと成功はないのではないか、支払うことで学べることがあるのではないかと相当悩んだが、後出しで金銭を要求された点に嫌悪感を覚えて辞める運びとなった。

上記を第三者から見ると、私の経緯は以下であろう。

「悪質な団体に勧誘され、精神的な幼さ故に騙されて加担し、金銭を要求された段階で手を引くことができた」

一般的な意味で「賢く」生きている人間であれば、大方そのように考える。「ちょっと考えれば怪しいって分かるじゃん」なんて言われるかもしれない。当事者の私から見ても、その意見は妥当と言わざるを得ない。

しかし、実際のところは異なる点も多い。これは決して、団体に洗脳されているわけでも、自身の行動を正当化したいわけでもない。
団体に所属する人たちはみんな一生懸命に、明るく前向きに成功することを夢見て行動していた。将来のことなんて何も考えず、山積みな仕事のために残業することを「一生懸命」だと考えていた過去の自分が恥ずかしくなるくらい、勉強や勧誘を楽しんでいた。その環境で初めて「フルコミット」の意味を知ったのだ。今、私がほぼ全ての時間を費やせているのは、この時の感覚が大きい。
そこで教えられることは、その団体に対する信仰心を高める内容が主ではあったが、勉強になることも多かった。バックグラウンドに囚われずになりたい姿を目指す重要性、Eクワドラントのみで居続けることのリスク、人を惹きつけるストーリーの構成の仕方。どれも今の自分の礎となっている。

それに、自らが行動したことで、「法に触れなくても倫理的に間違っているもの」「自分がしたくない稼ぎ方」について、初めて考えることができた。結果、目の前のものが正しいのか間違っているのか、好きなのか嫌いなのか、根拠を持ってはっきりと答えられるようになったのだ。
そして、人が何故宗教にお金を払うのか、環境が自分に与える思考への影響、どんなものにも正の面と負の面があることなど、今までの知識では到底及ばなかった考え方をするようになった。

もし直感で「怪しいから」「何となく胡散臭いから」と遠ざけていたら、世の中に蔓延る「本当の悪意」を見極める力は得られなかったと思う。
私よりも遥かに賢くて弁の立つ人から”それ”を正当化されたら、私は”それ”を正しいと思い込んで、取り返しのつかない失敗をしてしまったと思うのだ。そしてそれは、世の中の全ての人に当てはまるとも思うのだ。

例えばみなさんは、マルチ商法に手を出してはいけない理由を説明できるだろうか?
「ネズミ講は犯罪だから」「人を騙しているような感じがするから」「何となく怪しいから」
こんな風にしか答えられない人は、いつか賢い人に言いくるめられる可能性がある。マルチ商法が人脈とお金を消費するビジネスであること、法で厳しく規制されていることなど、本質を理解して指摘することはできるだろうか。

結論としてこの記事で述べたいのは、「何となく怪しい」で物事を遠ざけると、それについて調べる・考える機会を失うということだ。
人は自分が当事者であるとき、その物事について真剣に考える。自分が騙されているかもしれないのであれば、尚更だ。あらゆる手段を使ってその物事を調べ上げ、自分の中の正義と照らし合わせて考える。後悔のない決断をするために、ひたすらに時間を使う。結果、その物事に関する知識だけでなく、世の中の悪意や手法、自分の正義を知る機会となる。

この記事を最後まで読んでくださった方は、是非に「知らないから、とりあえず一歩踏み出してみよう」というマインドを忘れないでいて欲しい。
踏み出した先で誰かの言いなりにならず、自分の頭で考えて、答えのない現実と向き合ってみて欲しい。
その先に、あなたを「賢者」にする経験があることを伝えて、この記事を終わろうと思う。

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凡才
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