猫の方が人生を謳歌している。
猫を見ていると思う。
適した時にご飯を与えられ、好きな時に寝て、たまにちゅーるを食べて、走り回って、うんちをしてもすぐに綺麗にしてもらえて、なんてノンストレスな環境で生きているのだろう。
在宅ワーカーな私は、仕事をしながらそんな猫を見て、さらに思うのだ。
「猫の方が、人生を謳歌してるよな〜…」
いや、人生とは人の一生のことを指すのだから、猫の一生は猫生(にゃんせい)であろうか。猫をにゃんと読むのは、日本語的にいかがなものであろうか。そんな意味のないことを考えながら、何だか羨ましく思う。
私の太ももの上で寝転がっていた猫は、何かを思い出したように地へ降りて、ノコノコと窓の方に歩いていく。何用だろうと思い追ってみると、カーテンの裏にスッと入った。そっとめくってみると、丸くなって日向ぼっこを始めていた。
いいなぁ。人生、ではなく猫生を謳歌している。したいことをしたい時にしている。お腹空いたら泣き始めるし、遊んで欲しければ寄ってくる。”生きるために”仕事をしている私とは大違いだ。
そもそも人生とは、成さなければならないことや意義なんて特にないのだ。大人気YouTuberのひろゆき氏も、そんなことを言っていた。
現実、やりたいことだけやって生きれる人生が一番いいに決まっている。
そのためには、やりたいことだけで価値を創出しなければいけない。人間風情はその方法に頭を悩ませているのだが、猫にとっては容易いことだ。
持ち前の可愛さと愛らしさで、人間に価値を提供する。人間はその対価として、餌を与えてトイレを綺麗にして、猫との住みやすい環境を作り上げる。そうやって猫社会は回っているのだ。
書いていて、なんだかひろゆき氏に似ていると思った。
もちろん過去に築き上げてきた結果なのであるが、YouTubeでお酒を飲みながら生放送で質問に答え、人々に価値を提供して人生を謳歌している。
一方猫は、自由奔放な姿を我々に見せることで、価値を提供している。
そうか、ひろゆき氏は猫だったのか。
彼の自由奔放な生き方は、猫に由来するものであったのか。
なんとなく納得したところで、本記事を終了とする。