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がんばりすぎの病
今年の私の1年のテーマは、「優しくある」なのですが、日々過ごす中で、難しいテーマだなぁとじんじん、感じています。
何が難しいかって、人間って煩悩にまみれた生き物だなぁって(笑)。
それでも、自分なりに、どう人に優しくあれるのか、試行錯誤したり振り返ったり、また新しいチャレンジをしたりする日々です。
時には「また優しく出来なかった…orz」と、反省しすぎて自分に優しくあれなかったりします。
自分にも、人にも、優しくあれるためには、「ゆるす」ことが不可欠だなぁとしみじみ思うようになりました。
何をどう頑張っても、人間は間違うんですよね。
今読んでいる心理学の、言葉の使い方の本にも、「どんなにベテランでできる心理士でも、言葉遣いを間違わない、なんてことはない」と書いてあって、すとん、としました。
一方で、相手にしている人が人だから、仕事だから、やるべきことはやって、間違えてはいけない、というのも事実。むしろ今の社会は、こう思うのは当然でデフォルトみたいになってる。時にそれが、一定の状況に達しないものへの強い批判につながることも。
けれど、「プロとしていい仕事をしよう」とか、「人として優しくいよう」という意識を持つことと、
その結果がどう伴うかはまた別で。
その間に乖離はある。
そこが人間の難しいところで、100%やプロフェッショナルを目指すことって、基本的には褒められることで、求められることで、自分も追いたくなるところ。
けれど、そんな人もやっぱり人間。
現実いつもいつも、そうはならないところに関して、「人間だからな。」「そんな日もあるな。」「じゃあ次どうしたらいいかな。」と、身体の力を抜いて、フラットに認識できるほうが健康的に思います。
そんなことを心に思うよりも、ガンガン前に進んじゃう方が楽な人もいるし、思っても強く感じない人もいるし。
同じ事象があっても人によって捉え方も違って。
でも、楽しい頑張りを超えて、頑張りすぎると自分へも他者へもネガティブな気持ちが湧いてくる。
そんな時は、きっと人に「聴いて~~」と頼るのと合わせて、「頑張ってたんだなぁ、私…」と自分に目を向けてあげるのが必要なんだろう。
人に優しくあるためには、
自分を見守ってあげる目を持つこと。
自分をそんな風に見れないときは、
人に見てもらうこと。
手抜きではなく、
白黒つけられないものの曖昧さを
ゆるすこと。
この辺りを、もっと体感的に身に付けたい。
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