本質を洞察する
哲学とは何かと聞かれると、
「なんかよくわからん」とか、「小難しい感じ」とか
そんなことが頭に浮かぶことが多いかもしれない。
実際、僕はそのように感じていたし、役に立たない言葉遊びのように捉えていた。
そんな僕が、初めて哲学らしきものに触れたのはこの書籍。
この書籍は哲学書ではない。哲学的思考をベースとした実践術であり、哲学を学ぶためのものではないが、初学者の僕にとってはおおいに参考になったし、その後、哲学的な思考を学ぶきっかけにもなった。
↓過去にもこの書籍を参考に書いた記事があるのでそちらも是非。
哲学とは?という問いに対する答え(のひとつ)はこの書籍の中で見つかった。
「物事の本質を洞察する学問」
これが哲学という学問だ。ということ。
これだけ聞いても何のことやらわからないので、本質という言葉を辞書で調べてみた。
つまり、物事の本質とは、その物事の土台となる要素であり、その物事の性質を考えることはできないほど、大切なものであるということだと思う。
月並みな例えにはなるが、本質とは木の根っこや太い幹の様なものであり、それなしでは枝葉は存在できないように、物事の本質もまた、それなしでは全体が存在できなくなる様な、大切な構成要素なんだと思う。
このように、本質の大切さに気づいたとき、本質を洞察する学問である「哲学」を学びたいと思った。学ばなければ大切なことを見逃したまま、学習していってしまう気がしたからだ。
哲学の営みは、本質を洞察し言語によってシンプルに、過不足なく記述していくことだと理解している。哲学によって導かれたとてもシンプルな文字列は、普遍的な価値を持って自分の中に存在し続けてくれる。困った時の万能薬みたいなものだ。
いろいろな学問を学習していくと、その中で矛盾を感じる様なことがある。僕が普段学んでいる理学療法学(理学療法士の仕事に関わる医学関連の領域全般ということでお願いします。)でも、よくあることで「学派」「派閥」の様なものが形成されていたりする。何が正しいんだろう?と頭を抱えてしまうことも少なくない。そんな時、哲学することが解決策の一つであると思っている。哲学によって、その学問の本質を洞察し、言語によってシンプルに表現することで、普遍的な「認識」が提供される。その「認識」を出発点として改めて考えてみると、案外すっきりと納得できる答えに辿り着くことができることが多い。少なくとも僕自身は、それまで頭を抱えていたような事象に対して、それほど悩まされることがなくなってきている。(もちろん何もなくなったわけではないです。人間ですので。)
本質を表現する「言語」も人間が作ったもので、完璧ではないし、適切に表現できているという保証はない。ないが、本当の本質に少しでも近づく哲学という営みをつづけ、それによって導かれた「言語」によって物事を理解するとシンプルに救われる。
救われるなぁ。
と感じるのだ。
わかっていただけるだろうか?この感覚。
【参考文献】
※本記事は、あくまで私が書籍を読んだ上で咀嚼し、私というフィルターを通して表現しています。よって、基本的には私の個人的見解を多く含んだ内容になります。その点ご了承いただいた上で、ご興味を持っていただけたのであれば、是非、参考書籍を手に取っていただければと思います。
最後まで読んでいただきありがとうございました。
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