団地の遊び 恋と本
恋と本
ムーちゃんが、突然言った。
「俺、目黒先輩のこと好きかもしれない」「そうか」
特にどうとも思わなかったので、フツーに答えた。
コイツは、以前、クラスメイトの三村夏子を好きになり、フラれた過去がある。今度は、二歳年上の先輩である。なかなか恋多き男であった。
ある日、例によって、団地内公園あたりで、なんかみんなで集まりダラダラしていた。まるで小学生気分が抜けてない中一の五月。
高橋はボール投げをし、その横の狭い芝生の大きな楠の木の下にいた。公園では、子供たちが遊んでいるーーー自分たちも充分まだガキだが。
自分は恋愛には、全然疎いのだが、ムーちゃんが目黒先輩とどうなりたいのか知らないが、これはまず無理だろうと思った。
向こうは果てしなく大人に見え、コッチははるかに子供に見えた。要するに、相手にしないだろうと思った。だから大人と子供にしか見えない。
元女学級委員山岡が、鞄を持ち私立の制服を着て帰ってきた。帽子を取りリボンをはずしながら、近づいてくる。自分の住む号棟に向かった。
すぐにも、私服の山岡が現れた。小さな缶ジュースを持っている。それがなんだったのか、なぜか妙に気になるが、どうしても思い出せない。ポンジュースじゃないかと思う。
山岡がみんなにジュースを配る。
ムーちゃんが少し離れたベンチで、MM2(仮名)とラジオをいじっていた。三村夏子もいた。
楠の木の下の、芝生に座ってる自分は、木にもたれ座ってる山岡に言った。ーーームーちゃん、目黒先輩のこと好きだって。
山岡がものすごいギョッとした顔をして、ジュースを落としたあと、動きがピタリと止まった。
「マジか?」頷く。
無理だと思う。自分もそう思う。意見が合った。
それでどうしたいと思ってるの?あたし、なんにもしたくないわよ。もっともな話である。
山岡は目黒先輩と同じ都内トップの私立中学生である。ひょんなことから関わるようになった。
別の日。駅前の本屋にいたら、目黒ゆかり先輩と会った。偶然である。
真っ赤なジャージ上下に網サンを素足に履いている。とても、都内トップの女子中学生には見えず、そもそも中学生に見えなかった。高校中退したスナック勤務前の女。そんな感じである。
「おい、カレシ。本読んでるか?」
山岡の彼氏ということになってるので、カレシと呼ばれる。
自分もムーちゃんも小学生の頃は、本は読まなかった。ところがムーちゃんが中学生になると、なぜか江戸川乱歩なんぞを読み始めた。自分も影響を受け、だが江戸川乱歩は何か違うと思い、シャーロック・ホームズを手に取ったが、やはり何か違うと思い、モーリス・ルブランのアルセーヌ・ルパンを読んで、これでしっくりきた。
自分もムーちゃんも一日一冊ぐらいのペースで図書館から本を借り、読んでいた。本屋に来て、いい本があれば図書館で探し借りるということを結構している。
目黒先輩は、読書の先輩でもあった。あれが面白い、そんな情報を聞くと、必ず読んだ。どちらかというと、言うこと聞かないと怖いから読んだというほうが正解であった。
乱歩、ドイル、ルブラン読んでるなら、ヴェルヌやウェルズも読みな、そんな感じだった。「宇宙戦争」を紹介してくれたのは、目黒先輩である。それまで、H・G・ウェルズなんて聞いたこともなかった。
だが、まだ児童本の段階であった。南洋一郎のルパンである。
先輩は、ロマン・ロランや、ヘンリー・D・ソロー、ソルジェニーツィンという、なんかすごそうなものを読んでいた。もちろん、児童本などではない。
毎日読んでます、そう答えると、うん、いいことだ。そうフツーに返事した。
ところで、先輩の住んでる所は、ガラ悪い地域で、そっちには行くな、と言われていた。目黒先輩は、神童と言われている。なので、都内で一番難関の私立中学校に入学できた。しかし友達は、モロにガラ悪く、要するにこの人は、地元では、ガラ悪いのだ。学校と地元では言葉使いも違う。
ふと、思った。なので、先輩に言った。ーーームーちゃんって自分の友達。「あのメガネのコだろ」ニーチェを手にしながら答える。ーーー先輩のこと好きだそうです。目黒先輩はギョッとした顔をし、本を落として、動きが止まった。「マジか!?」頷く。
「頼まれたのか?」ーーーいえ、ふと気になって。「本人が何もしないなら聞かなかったことにする」
その後、ムーちゃんは、おのれの愚かさに気づいたのか、何も言わなかったようである。
みんなで、読書三昧の日々を送ったのだった。
そして、ある日、いったいなんの本を読んだのか、ムーちゃんがドヤ顔で言った。
「人を好きになるってことは、その人の幸せを願うことなんだぜ」