福音書 ルカ12章-22
命の事で何を食べようか、身体の事で何を着ようかと思い悩むな。命は食べ物より大切であり、身体は衣服よりも大切だ。
( ↓ 続き)
烏はどうだろうか。種をまくこともなく、刈り入れをすることもなく、納屋も倉も持っていない。しかし、それでも神は鳥を養ってくださる。
(中略)
野の花がどのように育つのかを考えてみなさい。働きもせず、紡ぎもしない。しかし、栄華を極めたソロモンでさえ、この花の一つほどにも着飾られてはいなかった。今日は野にあって、明日は炉に投げ込まれる草でさえ、神はこのように装ってくださる。まして、あなたがたにはなおさらのことである。
世の理のひとつが易しく平素な言葉で表現されているように思う。
自分の生活を豊かにしようと食べ物の事を考えたり、着飾って格好よく見せようと衣服の事を考えたりするべきでない。むしろ自分の生活には無頓着で、周囲の人の生活を自分の事のように想い、献身の心で働きつづけるような人間こそ、どんなに美味しい食事よりも心の豊かさをもたらす生活が授けられ、どんなに見かけの良い服装で着飾るよりも真に美しい姿が顕れてくる。
皆が皆、”自分自身のより快適な人生の為に”と、自分(やほんのごく近い身内)のみの利益を守る為に、他者との明確な線引きをし、日常の中でも利己的な考え方をしがちな、この時代においても、
時に、この上なく美しい人の目を見ることがある。
想像するだけで、気が遠くなるような苦労と献身の人生を経た年配の方に稀にお見掛けする、慈愛の光に満ちて、優しくへりくだったような目。
そうした方のお姿を見ると、
単純な(若さを前提にした)外貌の美しさや人が工夫を凝らして施した美しさなどが到底及ばない、
人の恒久的かつ真の美しさがそこに在るように思う。
また、そうした献身の心を持った人間を見ると、
周囲の人間もまた同じ心を差し向けようと計らうのが自然の法則であるし、
利己主義の時代にあっても、少なくとも、そうした心の法則が私たちの中でも働いている事を実感できる。
だから、自分の食べ物(ひいては自分の利益)に執着しなくても、
ただただ献身的に働き続けば、(少なくとも)必要な分が与えられるように出来ているし、
また、草花が美しく在ろうとせずとも、美しく在るように、
人間においても、着飾ることの無い、心の内からの美しさのみが人を本当に美しく施してくれる。