【20200827#9】芸術の寛容さと世の中の不寛容さ
心を整える旅へ行った
だいぶ精神的に落ちてしまい、どうしようもなくなったので、完全に落ちる前に外へ飛び出す。
何も考えずにのんびりバスに乗って、久しぶりの街の音を感じながら国立国際美術館へ。
美術館の周りは都会なのに人が全然いない。図書館ですらあんなに人がいるのに。いたとしても芸術を見に来るひとだから静かな人が多いイメージ。
ヤン・ヴォーの個展を見る。
今最も分かりにくい作品+解説文がほとんどないという前評判を聞いていたが、自分的にすんなり腑に落ちるメッセージや手法がある。
ヤン・ヴォーから芸術の懐の広さを学んだ
前衛芸術って難しいとか、解説ありきで初めて作品性がでるみたいなことを聞くけれど、僕はそうは思わなくて、わからないならわからないなりに考えて思いを馳せて想像力を駆使して感じる、読み取るという楽しさも十分あるとおもうし、答え合わせが必ずしも必要ではなく、その感じるプロセスこそが芸術の面白い部分の1つだと思う。もちろんこの作品はこういう背景があってというのもなるほど納得と面白いけど、答えが用意されていなくて曖昧なもので許されているのって今の世の中にはほとんどなくて芸術っていいなと改めて思う。
企画展の越境する線描も面白かったが、ヤン・ヴォーの後でみる説明の多さと、それの端的さに驚いた。
勉強しにきてるのかなと思うほど情報が整理されていて。それはそれでいいんだけど。
芸術=アウトプットといえるくらいツールが発達しちゃって見失っているもの
この展示で思ったのは、線描画って、絵の中でもプリミティブで、作品ドーンじゃなくて習作だったり、発表する目的でないものもあったり、楽しみや奥ゆかしさが感じられた。
特に気に入ったのはきれいな色紙をいい感じに配置して、角と角を線でつないだものや、折り曲げた紙に光を当てて、陰になった部分を線描で表した作品。
ただ、自分もそれをやって、自分の家に飾ったりすることを考えたらなんて楽しいんだろうと思った。
現代では作品作り=アウトプットといえるくらいアウトプットのツールが充実していて、アウトプットしない作品なんてあるの?みたいなくらいになってるけど、もっと私的な、自己満の世界って本来の芸術は持ち合わせていて、認められたいとか、評価されたいとか、いいものと言われたいみたいなものじゃなくて、自分がいいと思うもの、やってるときに楽しかったものの結果を飾ったり飾らなかったりできるということを忘れかけていた。
自分の為にやる芸術でいいし、やっている間が楽しくないと評価されても楽しくない気がする。
そう思えるくらい作ってるときの楽しみが伝わってくる2作品だった。
そのあとピクサーの新作「1/2の魔法」を見に行く。感動して泣いたし、隣の小学生も泣いたし、人類史上最高峰の絵物語だが、どこか、流行りのロジックを駆使した優等生の作品という感じで人生観が変わるほどの衝撃ではないかな。死ぬと悲しむ人がいるな~好きな人を悲しませたくないなとは思った。