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心の拠り所
好きそうなのに、観てないの?
と会った人に立て続けに言われたため、映画「ジョーカー」を観てきた。
この映画はアメリカンコミックのバッドマンの悪役ジョーカーがどのようにして誕生したのかを描いた映画で、主演ホアキン・フェニックスのアーサーという市民が、ジョーカーに変わっていく狂気の演技が話題となっていた。
観てみての感想は、もちろんホアキン・フェニックスの演技がすごいということは間違いなかった。
しかし僕がそれ以上に素晴らしいと思ったのは、彼の心の拠り所が何かを、彼の日常の中の感情の波を、丁寧に丁寧に描いていたことだった。
結末が観る人にあらかじめわかっている物語(リング0やスターウォーズ1〜3)というのは、その変化のきっかけのところに重きを置いて、その人の人格や行動、日々の感情の波というのは、描かれる分量が少ないと感じていた。
しかし今回のジョーカーは、何か大きなきっかけということではなく、日々彼を息苦しくさせているものが、不満や怒りを溜めるものが少しずつ少しずつ現れる。
そんな中で、彼が日々の生活でその不満や怒りに対処し、向き合っている姿が僕は非常によく描けていると思ったし、おそらく観る者のじぶんの生活で感じる感情の一辺とどこか重なるところもあるのではないだろうか?とすら思えた。
そして彼は少しずつ少しずつ変化をしていく。
月が日を追うごとに鋭くなるように、新緑が紅葉になるように、徐々に徐々に。
この映画を一言で言うと、その変化を丁寧に描いた映画であり、その変化とは、心の拠り所が一つまた一つと失われていく、または捨てていく過程を描いた映画だ。
この社会に執着や未練、大切な人やものもなく、かつじぶんが誰にも相手にされていないときに、心の拠り所が一つもなくなったと感じたときに、人はその寂しさに耐えきれず、壊れてしまうのかもしれない。
これは80年代のアメリカ社会の話しだが、人が人に無関心であるという現代の孤独にも、どこか通じているように感じる。
だからこそ今の時代に、この映画はあえて撮られたのではないか?
ジョーカーは誰の中にもおそらく存在している。
明日のジョーカーはあなたかもしれないし、明日のジョーカーを救うのも、あなたかもしれない。
今日も最後まで読んでくださってありがとうございます。
人の心の拠り所とは、人からの関心なのかもしれないですね。