コロッケへの愛は本物か?
コロッケがとっても好きで、昨日は出先でコロッケを買いました。
コロッケ自体も美味しいコロッケで、やっぱり食べてよかったと満足感がとても高い。
これからも力の限り食べ続けようと思った次第ですが、一つ気になったことがあります。
出先だったこともあり、いつもコロッケにかけているソースがありませんでした。
少しの物足りなさと寂しさ、そして天井を感じてしまう満足感に、ソースの偉大さとコロッケへの愛は確かなのかについて疑問が浮かびました。
もしかしたらコロッケ単体で好きなのではなく、ソースが好きか、ソースと一緒にいるコロッケが好きなのではないか、と。
でもじゃあ何とでもソースが合うかと言われたらそんなことはないし、何にでもソースをかけるかと言われたらそれも違う。
やっぱりコロッケは好きで、そのコロッケを最高にするのがソースということなのだと思うと、コロッケで言うところのソースとは人間で言うと洋服や髪型や香水みたいなもので、そのものの魅力を引き立たせてくれるものなのだろう。
だからソースがないコロッケに物足りなさを感じることがコロッケへの愛は本物か?と思わせたとしても、それはもっといいコロッケの状態を知っているからこそのおもいであり、コロッケへの愛を疑うものではないということを書きながら理解することができた。
キリンさんが好き、でもゾウさんの方がもっと好きというCMと同じ論法で、かかっていなくても美味しい。
でもかかっていた方がもっと美味しい。
コロッケもソースも好きで、一緒にいると最高に好きというやつなのだ。