見たいものしか見ない人間の豊かな眼差し
昔こんな遊びをしたことがある。
街の中の赤いものを見つけて、一番印象に残ったものを発表する。
というもの。
その遊びをしていると当たり前だけど、赤いものに目がいく。
道すがら、記憶の中の赤いものがある前を通ろうとしたり、または赤だと思っていなかった意外なものに赤色が含まれていたり。
いかに普段様々なものを見ていないかを実感させられる。
その他にもボクは新しいカバンが欲しい、靴が欲しいとなると、買うまでの間、街の人のカバンや靴をジロジロ見てしまう。
けどこの期間、じぶん側に関心があるからこそ、外部の世界のそれに気づくことができる。
見たいものしか見ないことはネガティブに語られることが多いが、どこまで鍛えようとも、鍛えたなりの見たいものを見るだし、そもそも見るという行為自体が、何かに注目すること、それ以外を見ないことと同義である以上、見たいものを見るから人は避けられない。
しかし今回ここで書いたように、じぶん側の関心の向け方で、見えるものの範囲や種類は広がっていく。
普段のじぶんの暮らしで気にしていること、注目していることが増えていくほど、見たいものを見ているだけでも、いろんな世界が見えてくる。
好奇心や体験へのフットワークの軽さは、世界を見渡す時にも豊かなものをもたらしてくれる。
今日も最後まで読んでくださってありがとうございます。
最近アクセサリーに興味があって、ついつい見てしまいます。
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