宝くじというものの真の意味
先日とある友人の誕生日に宝くじを10枚祝儀袋に入れてプレゼントした。
そして宝くじの『真の意味』について2人して考えた。というよりその人に教えてもらった気がする。
宝くじというプレゼント自体には深い意味はない。
恋人でも夫婦でもない異性。
あまり重たくなるのもなんだかなと思い、かと言ってベタなものは選びたくなくて。
要は『奇をてらった』のである。
ご祝儀袋を開けたときのサプライズ感、また当選発表のドキドキと2度楽しめるのもなんか面白くていいかなと思って。
誕生日のその日。
そのご祝儀袋をその場で開けたその人はとても喜んでくれた。
人生初の宝くじらしい。そこまでは予想していなかった。
それから2週間ほど経って、ついに当選番号が発表された。
僕は当選番号をスクショしたスマホ、友人は10枚の宝くじを持って、いつもの場所で落ち合った。
『さぁ準備はいいか?』
しばらく他愛もない話をしてから僕が切り出す。
『うん。』彼女は頷く。
『7億当たったらどうする?』
奇をてらった割にはベタな質問である。
しかし彼女の答えに僕は驚いた。
『うーん。アトリエ建てるかな。知り合いの建築家にお願いして。個展もできちゃうくらい大きいのがいい。2つ持ってる人もいるからそれもいいなー。あとキャンパスを大量に買い溜める。あと中国とか台湾に進出してみるかなー。』
『宝くじ当たったら仕事やめて好きなことしてぬくぬく暮らすー。』
とか言ってた自分にウェスタンラリアットを喰らわしたくなった。
それか7億でスタンハンセン連れてきてやる。
『宝くじが当たったら』という誰もが一度は挑んだであろう大喜利に対する答えがここまで違うか。
彼女の答えが僕のそれとどう違うのか。
それは僕のが『漠然とした願望』でしかないのに対して彼女のそれは『実現させたい夢』なのである。
抽選の結果はお馴染みの300円のみの当選だった。
でも彼女はこの『たった10枚の宝くじ』にそれ以上の意味を見出していた。
そして見事にハズレた10枚の宝くじを眺めながら彼女は言った。
『宝くじが当たったらどうするか考えることで自分が実現させたい夢と向き合ういい機会になったよ。ありがとう。』
これこそが宝くじというものの真の意味なのだと思った。
買ったくじが例え少額でも宝くじを買った人はみな『当たったらどうするか?』と思いを馳せる。
お金があれば実現できる夢をより具体的に思い描く。
この過程こそが重要なのだ。
実際に当たったかどうかはあまり重要ではないのだ。
宝くじは『夢を買う』のではない。『夢と向き合う』ためのものだったのだ。
自分が何気なく買ったたった3千円のプレゼントがこんなに大きな意味を持つことになるとは思わなかった。
そんな彼女は今、300円が当たった末尾が『2』のくじを『どんな意味のある300円にするか』と真剣に考えている。