音楽とは『音を楽しむ』ものなのである
タイトルのとおりである。
音楽とは『音を楽しむ』ものなのである。
もっと自由に、既存の概念に捉われず自分を表現できるのが『音楽』なのである。
中学のころ
音楽の授業でアルトリコーダーを演奏する機会があった。
僕はこのアルトリコーダーが大嫌いだった。
小学校の音楽の授業ではソプラノリコーダーを吹いており、そちらはむしろ得意だったのだがアルトリコーダーにはどうしても馴染めなかった。
ある時、音楽の授業でアルトリコーダーの実技テストが行われることになった。
課題曲を練習して、別室で音楽の先生とマンツーマンで一曲披露するというものだ。
僕は焦った。
課題曲の最初の方はなんとかなるが、サビ以降が全然吹けなかったのだ。
メロディは頭に入っているが指が全然思い通りに動かない。
このままではテストで醜態を晒すことになる。
この時の僕は『音を楽しむ』ことなどアウトオブ眼中だった。
そうこうしていると僕のテストの順番が来てしまった。
別室で待つ音楽教師の元へと向かう。
その道すがら、一筋の光が見えた。
秘策を思いついたのだ。
別室では音楽教師が椅子に座って待っていた。
まだ20代と若い女性教師だが、眼鏡の奥で鋭い眼光を光らせている。
『それではどうぞ』
女性教師はそう言って仏頂面で僕に演奏を促す。
僕はおもむろにアルトリコーダーを構え、最初の音を奏でるべく美しいフォームでリコーダーの穴を押さえた。
そのまま課題曲を演奏すると見せかけて僕は曲の冒頭から秘策を炸裂させた。
リコーダーという概念に捉われず、『自由』に、そして『壮大』に課題曲を表現して見せたのだ。
口笛で。
吹き出す女性教師。
先程まで光らせていた眼光は突如ブラックアウトした。
構わず演奏を続ける。
こちらは今まさに『音を楽しんで』いるのだ。
勝手に笑っていろ。
Aメロはメロディアスに。
そしてサビで盛り上がりは一気に最高潮に達した。
フォルテッシモである。
リコーダーはすでにただのマイクの代わりに成り下がっている。
曲の終わりをしっとりと、ピアニッシモにビブラートまで加えて締めくくり、女性教師の顔を見た。
泣いていた。なんの涙だろうか。
いずれにせよ僕は音楽で人を笑顔にしたのだ。
そして女性教師は言った。
『わかりました。』
この実技テストの評価がどのようになされたのかはわからない。
ただこの年の通信簿で音楽の評価は『4』だった。
『音を楽しむ』とは本来こういうことなのだ。
いや違うか。