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「浅草寺」参詣録【台東区・浅草】

浅草寺せんそうじ東京都台東区にあるお寺です。正式名称は金龍山浅草寺きんりゅうざんせんそうじで ご本尊が聖観世音菩薩しょうかんぜおんぼさつであるため浅草観音あさくさかんのんの通称で呼ばれています。インバウンドの外国人観光客の人気も高く年間3000万人以上の参拝者が訪れます。・・・と言うことで、今回は「金龍山浅草寺」参詣レポです。🙂👍



浅草寺

浅草寺せんそうじ東京都台東区浅草2丁目にあるお寺です。正式名は金龍山浅草寺きんりゅうざんせんそうじと称し、ご本尊が聖観世音菩薩しょうかんぜおんぼさつであることから、地元の方々からは浅草観音あさくさかんのんの名で親しまれています。🙂

628年(飛鳥時代)、現在の隅田川で漁をしていた檜前浜成ひのくまのはまなり竹成たけなり兄弟の網に掛かった仏像を持ち帰ると、郷司(村長むらおさ)の土師中知はじのなかとも聖観世音菩薩しょうかんぜおんぼさつと知り、その後出家・剃髪し僧となって後 自宅を寺に改修し礼拝と供養に生涯を捧げました。これが浅草寺の始まりと言われています。😮

ご本尊の聖観世音菩薩しょうかんぜおんぼさつ阿弥陀如来が変身した御姿です。人々が救いを求めるのを聞くとすぐに救って下さる慈悲深い菩薩さまです。ご利益は苦難除去、現世利益、病気平癒、厄除け、開運、極楽往生など広くご利益があります。😌

1400年近くの歴史を持つ都内最古のお寺である浅草寺。この日本の歴史や文化に触れられる場所は外国人観光客の人気も高く、年間3000万人以上の国内外からの参拝者が訪れています。🤓

ご本尊
 聖観世音菩薩しょうかんぜおんぼさつ


浅草寺へのアクセス

■所在地
 〒111-0032 東京都台東区浅草2-3-1

アクセス

鉄道
 東武スカイツリーライン:浅草駅より徒歩5分
 東京メトロ銀座線:浅草駅より徒歩5分
 都営地下鉄浅草線:浅草駅A4出口より徒歩5分
 つくばエクスプレス:浅草駅より徒歩5分
バス
 都営バス
 京成タウンバス
 台東区循環バスめぐりん

浅草寺公式HP>交通案内より抜粋
浅草寺所在地


境内マップ

浅草寺境内の散策には、浅草寺公式HPにある以下のURL

境内を巡る - 浅草寺 (senso-ji.jp)

から参照できる「浅草寺境内案内図」が便利です。👇😊👌

浅草寺境内案内図


参詣録

■雷門 ⇒ 宝蔵門 ⇒ 本堂

では「雷門」からスタートしましょう。🙂👉🏮

雷門かみなりもん/正式名称は風雷神門ふうらいじんもん提灯ちょうちんは高さ約4m700kgあります。😮」
風神像(左)と雷神像(右)😀
雷門提灯底部の彫刻/見事な龍の彫刻があります。🙄大提灯はパナソニックの創業者松下幸之助氏の寄進です🙂」
雷門リアビュー/大提灯の裏側には正式名称の風雷神門と書かれてます。🙂」
天龍像(左)と金龍像(右)/水を司る龍神像。疑似的に男(左)と女(右)の姿をしていますが・・・どちらも尻尾があるそうです。😮1978年松下グループ有志により寄進されました。」
五重塔(左)と宝蔵門(右)
宝蔵門ほうぞうもん/元は仁王門と呼ばれていました。😮」
仁王像阿形あぎょう像(左)と吽形うんぎょう像(右)
大わらじ/高さ4.5m・幅1.5m・重さ500kgの大わらじです。仁王様が履くわらじに見せて魔除けとしています。😮因みに本堂から見て左が男わらじ、右が女わらじなんだそうです。👆😊」
鳩ポッポの歌碑(左)と迷子しるべ石(右)宝蔵門を越えた左手にあります。🙂」
鳩ポッポの歌碑/作曲 滝廉太郎、作詞 東くめ(ぽっぽっぽ、はとぽっぽ~♪)」
迷子しるべ石/昔、迷子が出た時にこの石碑を使って知らせていたそうな・・・🤔」
五重の塔(東から見たビュー)/942年建立の当初は三重塔でした。1648年に三代将軍徳川家光が五重塔を建立したが、最後は東京大空襲で焼失。現在の塔は1973年に再建したものです。🙄」
五重の塔(北から見たビュー)」
五重の塔とスカイツリーの新旧塔の共演😀
本堂/ご本尊の聖観世音菩薩が安置されていることから観音堂とも呼ばれます。東京大空襲により全焼しましたが😭、国宝だった旧本堂をモデルに1958年に再建されました。🙂」
常香炉じょうこうろ/ここの煙を身体の悪い所浴びるとご利益があります🤗」
お水舎/中央に立つの像は沙竭羅龍王像さからりゅうおうぞうです🙄」
「外国人で着物を着ている方がとても多かったです。😍」
本堂/お参りに行きま~す!🙂」
本堂の大提灯だいちょうちんに新橋(志ん橋)の文字/この大提灯はその昔新橋の人達がお金を集めて奉納したもので、奉納した人が好きな文字を書けました😮」
本堂/創建(628年)以来何度も被災し20回近く再建され、現在の本堂は1958年に完成、2010年にはチタン瓦に葺き替えられたられました。😌」
本堂から見た眺め・宝蔵門(左)、五重塔(右)
「一旦本堂を出ま~す。本堂正面の通りを西へ進むと浅草神社へ行けます。🙂👉⛩」


■二天門~浅草神社

浅草寺・・実は同名の神社が同じ敷地内あります。その昔 漁の際中に仏像を浅草浦(現隅田川)から引き揚げた檜前浜成ひのくまのはまなり竹成たけなり兄弟と、その兄弟にこの仏像は聖観世音菩薩であることを諭した土師中知はじのなかもとの三人を郷土神として祀る三社権現社さんじゃごんげんしゃを三氏の末孫らが創建しました。🙂

明治元年には三社明神社さんしゃみょうじんしゃに改名、明治6年には現在の浅草神社あさくさじんじゃとなりました。現在でもその名残りから「三社様さんじゃさま」と呼ばれています。🤓

ご祭神:
 土師真中知命はじのまなかちのみこと
 檜前浜成命ひのくまのはまなりのみこと
 檜前武成命ひのくまのたけなりのみこと

浅草寺公式HP浅草観光連盟HP浅草神社wiki他では、「檜前竹成」と記載され、浅草神社公式HP東京都神社庁HPでは、「檜前武成」の記載になっています。ややこしいですが、このパートだけ「武成」の記載とします。同様に「土師中知」は「土師真中知」としました。😌

二天門にてんもん(重文)リアビュー/本堂・東に建つ朱色門。当初は随身門でしたが、1884年に広目天、持国天像が奉納され二天門に。焼失後持国天と増長天像が奉納され現在に至っています。🤔」
二天門(重文)フロントビュー/当初は浅草東照宮の随身門だったそうです」
二天門(重文)/四天王の持国天増長天が祀られているため二天門と言います😮」
二天門の二像増長天(左)と持国天(右)
鳥居浅草神社石碑/鳥居の形は神明鳥居で1885年建立されました。😌」
川口松太郎の句碑(左)、久保田万太郎の句碑(中央)、粧太夫碑(右)川口氏、久保田氏は浅草出身の作家、粧太夫は吉原の遊女です。😮」
夫婦狛犬/通常は参道を挟み向き合って設置されますが、ここの狛犬は仲良く寄り添っています。そのため、良縁、夫婦和合、恋愛成就などのご利益があるとされています。🥰」
神楽殿/神楽や舞踊が奉納・奉演されます。🙂」
浅草神社・本殿へ」
手水舎
浅草神社(三社様)拝殿(重文)/拝殿、幣殿、本殿が一体の権現造りです。😌」
社務所/拝殿の真隣りに社務所があります。😮」
「神社参拝したので浅草寺・本殿へ戻りま~す🫡」
浅草寺・本殿サイドビュー/帰ってきました。🙂👉nishi-keidai」


■西境内散策

本堂西側に位置する西境内には、多くのお堂や石碑があります。
五重塔の隣りに立つイチョウ付近から西境内散策します。🙂👉

正観世音菩薩碑しょうかんぜおんぼさつひ五重塔の足元。イチョウの隣りに建つ石碑。🤔」
正観世音菩薩碑しょうかんぜおんぼさつひ/境内には観音さまを表した石碑が多くありますが、その中でも一際大きな石碑で江戸時代に奉安されたとのことです。🙂」
西境内案内図(境内にある看板)/案内図左下阿弥陀如来像前から散策開始です。」
銅像阿弥陀如来坐像(区有形文化財)/江戸時代の鋳造物として貴重な仏像です。🤔」
宝篋印塔ほうきょういんとう/1761年建立。供養塔の一形式で、この塔ににお参りすると計り知れない功徳を得ると言われています。😌」
石橋しゃっきょう/1618年に架設されました。都内では最古の石橋です。(1948年に当時の文部省より重要美術品認定されています)🙂」
石橋/渡れません!眺めるだけです!😮」
「浅草寺の西境内内です。(どこかの渓流かと思った・・・)😮」
西仏板碑(左)と三尊名号供養塔さんぞんみょうごうくようとう(右)/塔に刻まれた三尊の名に由来する塔。江戸時代に奉納されました。😌」
西仏板碑/建立者の西仏さいぶつが妻子の後世安楽を祈って建立したもののようです。😌」
影向堂ようごうどう/元は本堂南東にあったが1994年に慈覚大師円仁えんにんさまご誕生1200年を記念して、この場所に再建されました。😌」
六地蔵石燈籠ろくじぞういしどうろう(都文化財)/元花川戸町にあったものを明治にここへ移転されたものです。👈🙂」
六角堂(都有形文化財)浅草寺内では最古のお堂。ご本尊は日限ひぎり地蔵尊。)」
三峰神社/秩父の三峯神社勧請かんじょうされてできた神社です。」
写経供養塔しゃきょうくようとう/1994年造立。ご信徒の皆さんが浅草寺に納めた写経の経題きょうだい巻数かんじゅが奉納されています。」
写経供養塔(左)と淡島堂(右)
淡島堂あわしまどう/和歌山県の加太神社を勧請したもの。祭神は少彦名命すくなひこなのみこと
薬師堂(橋本薬師堂)/徳川家光が再建、二天門、六角堂に次いで古い建築物です。🙂」
薬師堂(左)と一言不動堂(右)」
一言不動尊/何か願い事を一つに限って祈願すると、その願いが叶うとされています。😌」
銅像観音菩薩坐像(区有形文化財)/江戸時代に活躍した鋳物師の小沼播磨守藤原長政作😌」
九頭龍権現くずりゅうごんげん/長野県戸隠山の地主神で1958年に勧請されました。😌」
金龍権現きんりゅうごんげん浅草寺ご本尊の聖観世音菩薩さまをお守りするため天より舞い降りたと伝えられる金龍を奉安されたのがこの金龍権現です。😌」

西境内案内図から少し西へ移動します。

瓜生岩子うりゅういわこ/日本の「社会福祉の母」と呼ばれる方の銅像です。😌この像は渋沢栄一氏の助力で1901年に完成したものです。😮」
戸田茂睡逆修塔戸田は江戸時代の歌人。その逆修塔(生前供養墓)です。🤔」
「リアルカラス😮(・・・ちょっと怖かった)」

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■弁天山周辺

弁天山べんてんやま本堂南東にある小高い丘です。

「弁天堂(左)と時の鐘(右)/弁天堂の右手にある鐘楼の鐘は「時の鐘」と呼ばれ、五代将軍徳川綱吉の命で改鋳され、江戸市中に時を告げていた鐘です。🙂👉🔔」
弁天堂(左)と時の鐘(右)/弁天堂のご本尊は白髪の「老女弁天」で、江の島弁天と布施弁天に並ぶ関東三弁天の一つです。🤡🤡🤡」
二尊仏勢至菩薩(左)と観音菩薩(右)/江戸時代の造立。露天坐像のため「濡れ仏」の名で知られています。😌」
母子地蔵尊(まんしゅう母子地蔵)/第二次大戦末期、旧満州より逃避行の末亡くなられた日本人は20万人以上と言われ、犠牲になった母子の慰霊のため建立された母子地蔵尊です。地蔵尊のデザインは漫画家(あしたのジョー)のちばてつやさん😌」
「文は漫画家(ロボタン)の森田拳次さんのものです。😌」


■伝法院通り~鎮護堂

鎮護堂、伝法院への入り口(山門)は伝法院通沿いにあります。🙂👉

仲見世通から伝法院通に曲がり、西へ進みます」
山門巽門たつみもんの扁額があります。🙄」
手水鉢ちょうずばち歌舞伎の市川一門が奉納されたとか・・・😮」
鎮護堂ちんごどう本堂
覆屋おおいや/左から目白地蔵尊、おやす地蔵尊、加頭かとう地蔵尊、石仏(三基)、加頭観世音菩薩が並びます。😌」
水子地蔵尊/月に一度 水子供養の法要が営まれるようです。😌」
伝法院の門(左)と社務所(右)伝法院は一般参拝していませんでした。😣」
巽門から出ま~す😐」
「ウヒョ、美味しいものが沢山食べられる伝法院通に出た~🤤」

浅草寺境内のあちこちを巡るルンバ散策を敢行しましたが、後から確認すると未だ見落としていたお堂や碑がありました。いや~、浅草寺って広い!😓

・・・浅草寺参詣録はここまで。


感想

浅草観音・・・実は子供のころから現在に至るまで何度かお参りに来てます。最近では3年程前だったでしょうか・・・🙄

で、ほぼ100%の参拝ルート・パターンが「雷門から五重塔を左手に観ながら宝蔵門をくぐって本堂にお参りして、おみくじ買って帰り道に仲見世通りで立ち食いして帰る or スカイツリーへ行く」でした。👈😊👌

そこで今回は「今まで行ってなかったところもどんどんまわろう!」をコンセプトに ルンバ(お掃除ロボット)散策を敢行。いや~浅草寺ってこんなに観たり・参拝したりするところがあったんだなぁ・・・などと思わず感慨にふけってしまいました。🤔

灯台下暗し・・・超有名で何度も訪れたことのある寺社(特に境内が広いお寺や神社)でも、意外と新しい発見がまだ潜んでいるかもしれませんよ~(いやお前の参拝の仕方が雑過ぎただけだろ~と突っ込まれそうですが・・)😓

最後まで本記事を読んでいただき、ありがとうございます。😌


まとめ

今回の散策ルート(全体)
今回の散策ルート(西境内)


おまけ

浅草神社の由緒より・・・

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