末寺の末事 129
ついダメなとこばかりに目が向いてしまう。
八方塞がりで何もできることはないのだろうか。確かに残酷だけど末寺に未来はなさそうだ。盤上をどう眺めてみても詰んでいる。ここから起死回生を考えることに無理がある。
だったらゲームをやめよう。もう勝たなくていい。問題はどう詰むかなのだ。詰むのは末寺であって、個々の宗教や信仰ではないのだから。形が変容するってそういうことだと思う。
お寺はやがて機能しなくなる。正確には末端の取り継ぎ寺院、末寺の必要性が失くなる。
そんなの嫌だ!というエゴや観点から、論理的な解決策は見出だせないと思う。
でも末寺は本来の機能を失って、更なる進化を遂げると考えてみたらどうだろう?
このまま朽ち果てて廃寺消失するのではなく、個々の信仰の礎となるべく何か別のアプローチを試みる必要性はあるのではないだろうか。
その軸こそ信仰のパーソナライズ化だと思う。
to be continued