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末寺の末事 168
与えられたものに、なぜ不服を感じるのか、それはいつからか、思い出せない。気がついた時には既に嫌だった。自分が自分で嫌だった。なのに自分が好き。殺してしまいたいほど憎いのに、どうしようもなく愛おしい。激しく矛盾した感情を抱えたまま生きてきた。
フラフラ、ユラユラしているのは、おそらくそのせいだろうな。与えられたものから逃げることばかり考えて逃げ切れもせず、苦悩の旧里に戻ってくる。
また浄土へいそぎまいりたきこころのなくて、いささか所労のこともあれば、死なんずるやらんとこころぼそくおぼゆることも、煩悩の所為なり。久遠劫よりいままで流転せる苦悩の旧里はすてがたく、いまだ生まれざる安養浄土はこひしからず候こと、まことによくよく煩悩の興盛に候ふにこそ。
戻ってくるからこそ安心している。ここにもまた信の因があり、心が振れなくなった縁でもあると感じつつ生きている。
to be continued
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