末寺の末事 157
楽活はやがて拡がる。
尼講の終活が満ち足りて、仏婦の活動が充実すれば、それを軸に、鈍化した檀家制度にメスが入る。リアルな門(信)徒に立ち返る意味が伝わる。それ以外が無価値であると知る。
その時、ハコモノとしての末寺は役目を終えるだろう。
これが僕のイメージする末事の顛末。
その頃には、この過疎集落やそこに住む各々の家庭が、どういう末事を迎えるのだろう。目を逸らさず観ているだろうか。Status Quo Biasに陥って、虚無感に苛まれてはいないか。
何となくの価値観に準えて生きてしまうのをやめれば、何も要らなくなるはず。そこからが信仰なんじゃないだろうか。
家庭や地域というものが存在していた時代なら、このスタートラインに並ぶくらいのことは、大した問題ではなかったのだろう。現代は違う。皆が独りを選択した。善いのか悪いのかなんて知らない。ただ愛すべき隣人が遠い。
to be continued