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ちゅ、中毒性。
中毒…
「毒に中(あた)る」の意味であり、生体に対して毒性を持つ物質が許容量を超えて体内に取り込まれることにより、生体の正常な機能が阻害されることである。転じて薬物依存症など依存症を指す場合がある。
毒…
生命に芳しくない影響を与える物質の総称。その性質は毒性(どくせい)とよばれ、また毒性を持つもの(物体・生物問わず)は有毒(ゆうどく)と表現される。専門に扱う学問には毒性学がある。
破戒無慙
完全に切っ掛けを見失っていた…。結婚して新居を構えたのを契機に、概ね15年近くは継続できていた禁煙の戒めを破った昨年、…というか、もう一昨年の暮れ頃の話になるのか?
兎に角、昨年1年間は、やめてみたり、また吸ってみたりの繰り返し、結局、潔く禁煙するか喫煙者に逆戻りするかの腹も括れぬままに、イップクとイップクの間隔が異様に長い休煙中の愛煙家、みたいな訳のわからんポジションに甘んじていたが、もうそろそろ50歳になる。
この節目にタバコについて再考してみようと思った。
そもそも何故?禁煙したのか…
正直、よく思い出せない。まぁ、新しい家が汚れるし臭くなるから、というのは大きかったような気もするが…、その時点では極端に体調に不安や不良があった訳でもなく、タバコ自体も今よりは値段も安かったから、特に小遣いの心配をしたつもりもないし。15年前と言っても既にタバコは悪の象徴で、禁煙ブームみたいのはずーっと世間で続いていたけど、そーゆーのに流されるのが一番嫌いなはずの捻くれ者の僕が、それでも素直にスパッときっぱりタバコを断ち切ったのは、やっぱり細君が『嫌な顔』をするってのがボディーブローみたいに地味~ぃに効いてたんだと思う。
細君の職業は看護師だし、自身の父親も喫煙による慢性閉塞性肺疾患が起因した心疾患で、若くして亡くなった。それも手伝ってだと思うけど、タバコに良いイメージは微塵もないのだろう。無理もない。
結婚後、僕は趣味だったクライミングを仕事にする程のめり込んだので、タイミングだって申し分なかった。身体を鍛え直したりしてたので、喫煙など論外だ。そーやって色々都合よく禁煙の流れみたいなのが、バチッと順調にハマったから、たまたま15年もやめていられただけだった。
では何故?再び喫煙したのか…
それが、よくわからない。一昨年、僕にとっては自分史上『最も自分を捨て、使命に尽くす』必要に迫られた年だった。強いて言うならば『ソレ』くらいだ。ずっとイライラしていた。サラリーマン時代に患った不眠症が、更に悪化して、ほぼ眠らない日が何ヵ月も続き、白髪も増え、精神も肉体も疲労は常にレッドゾーンをキープ。更に、こともあろうか、訳あってこのタイミングで、細君と別居。*注)離婚とかじゃないよ。妻が仕事の都合で単身赴任しただけ。
けど『嫌な顔』する人が傍にいなくなった。
新居だった家も15年もすると、愛着はあってもピカピカって感じでもないし、なんか…それまで立ってた禁煙フラグが、パタパタと倒れていった…んで、吸った。みたいな感じだった。という言い訳に過ぎない。まぁ、意志力だけでやめられるほどニコ中はアマくないらしいですがね…。
とりあえず、禁煙した理由もポヤンとしてるし、再び吸ったり、またやめたりするのにも、大意がない。そこが一番グダグタになっちゃう理由なのだろう。
で結局、吸うのかい?やめるのかい?
どっちなんだい?僕の意志力んww
…んー、…わかりません!わからんのかーい‼
って自問自答して独りボケツッコミしてしまうくらい、方向性を見失っている。
いや、基本的には禁煙なのだ。…と思う、気がしなくもない。僕の人生観では、迷った時は断つ・捨てる・離れるというのがデフォルトなはずだから。ただただ禁煙する理由がどーにもこーにもまとまらないから、いーよーに喫煙にダラダラ手篭めにされてしまっている。
いかん、思考がメビウスの輪状態、これは僕のパンドラの箱だ。
自身はこれ現に罪悪生死の凡夫、曠劫よりこのかた、つねにしずみ、つねに流転して、出離の縁あることなき身としれ
身体に毒?…なんか変。身体が毒だ。だって僕の身体は毒が満ち満ちている。どこを切っても毒しか出てこない。毒の血がドクドクと隅々まで流れて、毒でできた身体を支配している。五蘊が毒。煩悩の肉塊。だいたい、毒のない人なんて出会ったことがない。違いがあるとするなら、その毒が苦いか甘いかくらいのものだ。毒が毒煙吸って副流毒を撒き散らし受動喫毒で世界を毒で汚染している。
んー極論的過ぎる。もっと単純に考えよう。わからないのは、好きなのか、嫌いなのか、だ。タバコが好きな時もあるし、確かに嫌いな時もある。好き嫌いが自分でもわからない。…本当か?そんなことあるか?自分に嘘や遠慮はいらない。自分相手にババ抜きなんて不毛だ。本音を隠すのは他人様の前だけでいい。どっちだ。そこが問題なのだよ。タバコとかどーでもいい。自分で自分の好き嫌いがわからないのがものスゴく気持ち悪いし、何とかしたい。
何とかしたいけど、何ともならないものってのが中毒なのか。
わからないものを、わからないままにして、忘れたことにしていることも随分増えたまま。間もなく50歳になる。この節目に禁煙再開しようと思いながら、これを書きつつイップクしている僕がいる。
たいじん、(また)タバコやめるってよ。
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