地理学初心者とゆく白川郷:2つの衝撃を解き明かす旅
白川郷に着いて間もなく、私は2つの衝撃―すなわち圧倒的な風景美と、おもてなし―を受ける事になった。特に後者、毎年100万人が訪れる観光地にもかかわらず、なぜこんなにも温かいのか。この状況で、ただ景色を楽しみおもてなしを有り難く頂戴するだけで終わらせて良いだろうか、いや良いはずがない。これは調査だ。
この記事は、そんなひねくれ者が白川郷を散策して疑問を解き明かしていく、ちょっと変わった旅行記である。
まずは地図から
旅の前に地図を見るのは当然だ。一般的にイメージされる白川郷は、実は白川村の中のごく一部である。地図を見てみると「荻町合掌造り集落」とあるように、荻町が合掌造りの集まる部分である。庄川を挟んで左右に平野が広がり、特に東側に民宿や土産屋が集積する。日本海側に近いため積雪が多く、岐阜県内では少ない特別豪雪地帯に指定されている。
白川村は岐阜県の北部の県境に位置しており、西を石川県、北を富山県南砺市と接する。東には飛騨市、高山市がある。地図を見ると東海北陸自動車道があり交通の便が良い事が分かるが、これが開通したのは2008年である。それまで、例えば高山まで買い物に行く場合、車で半日かけていくという。買い物を楽しめば夕方になってしまうため、一泊してから帰るのだそうだ。このことから、長らく非常に孤立した地域であったことが分かる。
ぶらぶら・・・
昼前、白川郷バスターミナルに到着した。到着直後から、私と友人は1つ目の衝撃、すなわち圧倒的な風景美を感じることとなった。一歩踏み出せばさっそく何棟もの合掌造りが目に入る。雪国出身で、雪自体が珍しくない友人でも驚くのだから、それだけ合掌造りの存在感は大きいのだろう。
白川郷が優れている理由に、3つの目線から合掌造りを眺められる点があるように思う。先ほどのまちぶら目線に加えて、展望台からの鳥目線、そして内部からの住民目線の3つのことだ。まずは上から眺めることにした。
展望台は好きだ。地図のように知識が整理されたりはしないが、代わりに地上で体験した思い出が、言葉にすることもなく整理されていくような感覚がある。そこから学んだことを話せたりはしないけど「なんかすごく良かったなぁ」と思える理由には、展望台が与えてくれる特別な感覚があるのだろう。
続いては住民目線。神田家を訪れた。民具を展示してあるとのことだったが、中に入ると受付のばあちゃんからの神田家の物語の説明が始まった。神田さんのルーツ、伝統的だが新技術も使われた建築、などいろいろ聞いた。要するに、大雪への適応や家族制度、屋根裏で養蚕を行うなど土地の有効活用といった理由から、このような形になったということだ。写真は、村のもう一つの産業だった焔硝づくりについて質問している様子。床下では焔硝と呼ばれる火薬の原料を生産し、藩と商売していたらしい。
ところで、この大通りを見て、電柱がないことに気がついた人はいるだろうか。景観を壊さないことにとても気を使っている白川郷だが、電線は観光地化以前から地中に埋められたらしい。というのも電柱だと雪で停電になることが何度もあり、ヘリで物資を届けてもらうなんてこともあったんだとか。暮らしのための工夫が、結果として景観に繋がったといういかにも白川郷らしいエピソードである。
初日で分かったのは、白川郷の自然環境と、それに適応してきた住民が生み出す特別な歴史が、この美しい景観を作ったということだ。そしてそれをいろんな目線から楽しめるという武器もあった。まだまだ知らないことはあるけども、それ以上に気になることがあった。それは2つ目の衝撃、出会う人全てから受けたおもてなしだ。民宿では到着後すぐに長靴や傘を貸していただいた。ご飯屋さんでは余ったカレーをサービスしていただいた。何よりも皆おしゃべりで、「雪すごいでしょう」から会話が始まり何でも教えてくれた。その一方で、お年寄りによる雪かきからの井戸端会議は、観光客とは無関係に行われている。なぜここは観光客と住民の距離感がちょうど良いのか。明日はそれを明らかにしたいと思いながら、合掌造りの屋根の下で眠りについた。
たぶん裏ボスなたぶん女将さん
2日目も大雪だった。一行はもはや地面が全く見えなくなるほどの積雪に尻込みしていた。そこでまず民宿のおかあさんに話を聞いてみることにした。旅館なら女将さんだけど、民宿ではなんて呼ぶのか?たぶん女将さんだろう、たぶん。
朝食後、女将さんが話しに来てくれた。予想外だったのは、女将さんの話があまりにも面白いということだ。あまりに面白いので、気づけば1時間以上ものロングインタビューになってしまった。そこから見えてきたのは、村独特のつながりと、観光地化との悪戦苦闘の日々であった。
まず話題になったのは組というシステムだ。7つほどに分かれており、さまざまな仕事が組単位で行われる。例えば観光客用の公衆トイレのそうじは組ごとに当番制になっている。生活に欠かせない貯水池の点検には、二人一組になって向かう(シンエヴァの第3村を彷彿とさせる)。伝統的にどぶろく祭りでの神様のお接待も各組持ち回りで担当する。女将さんの組は年寄りが多いらしく、役割の維持が難しくなってきているそう。毎年行われる村中の人が集まる場では「今年も言わなくちゃいけないな」と、気合いを入れて臨むんだそうだ。上品な言葉づかいの女将さんだが、実は村の重要人物、裏ボスなのかもしれない。
どぶろく祭りについてはバスの運転手さんからも聞いた。何も、盃を上向きにしている限り、とんでもなく旨いどぶろくをひたすらついでもらえるんだとか。観光客は400円で盃を購入するのだが、毎年道ばたで寝ている人が続出するらしい。
再び女将さんの話。宿泊客とのやりとりの話はどれも傑作ばかりだ。外国人の団体客が来る時には、「今日はフランス人だから」と確認し合うという。国ごとに文化が違うため、事前に確認してトラブルに対応している。最初はお風呂の入り方から、身振り手振りで必死に伝えた。家中いたる所にカタカナや英語で注意書きや使い方が書かれているところからも、トラブルに一つ一つ対応してきた事が分かる。
私が好きなのは台湾人とのお話だ。何度も来てくれる台湾人がいて、「タダイマ」と言って訪ねてくる。女将さんが「帰ってきた時はただいまって言うんだよ」と教えたのを覚えていたのだ。その人から「ママちゃん絶対に台湾にきて、台湾もいいとこある」と誘われたことがあった。最初は「そんなとこ行けない」と思っていたが、家族の勧めもあり行くことに。行ってみると「良く来た良く来た」と喜ばれ、仕事を休んで4日間もいろんなところに案内してくれた。そんな話だ。民宿をやっていると、そうやって子どもや孫みたいなつながりがどんどん増えていく。そういった出会いがやりがいにもなっているのだろう。
話の中で何度も「1つの家族みたいなもん」とか「全部自分たちでやってきた」という言葉が出てきた。ここには村社会が力強く残っている、結という言葉も売り文句ではなかったということがよく分かった。しかし、だからこそ起きる問題もある。若者が離れていくことだ。ここまで続けて来られたのもすごいが、ついに限界ぎりぎりまで来ている。住んでいる若者は、年寄りが怖くて居づらいんだとか。女将さんのエピソードで、停電でろうそくの明かりしかなくて愚痴を言った時の年寄りの反応はこうだった。「ろうそくだってなかったんだぞ!暗くなりゃ寝りゃいいんだ!」。「そういう年寄りと一緒に生活して。喧嘩しながらもいなくなると意外に寂しいもんだね。それ(口うるさく言われること)が今の若い人達辛い、辛いんだろうね」。
帰りのバスで
なぜ白川郷の住民は観光客との距離感がちょうど良いのか。それは、もともとあった農村型コミュニティが、観光地化にうまく適応したからだと結論づけた。1995年に、住民からすれば突然、世界遺産とやらに登録された。そこからたくさんの人が押し寄せるようになった。「何か珍しい動物を見られるみたいな」違和感を感じつつも、この村の生き残りのために皆が力を合わせて、自分たちで頑張ってきた。その結果が衝撃を受けたおもてなしであり、ちょうど良い距離感となって現れた。景観の美しさにもその努力は現れている。
帰りのバスは、出会った人の顔や語りを思い浮かべるのには短すぎた。今度はどぶろく祭りに、帰って来てぇなぁ。
写真集
参考文献
・国土交通省ホームページ 地方振興:豪雪地帯対策の推進 - 国土交通省 (mlit.go.jp) 2022年1月22日アクセス
・才津祐美子(2020)『世界遺産「白川郷」を生きる リビングヘリテージと文化の資源化』新曜社
・白川村役場ホームページ 結・合力 | 白川郷観光情報 (shirakawa-go.org) 2022年1月22日アクセス
・中日本高速道路株式会社ホームページ 東海北陸自動車道「飛騨トンネル」について | 高速道路の建設 | 事業案内 | 高速道路・高速情報はNEXCO 中日本 (c-nexco.co.jp) 2022年1月22日アクセス
・羽田司、松井圭介、市川康夫(2016)「白川郷における農村像と住民の生活様式」人文地理学研究36号,29–42
この記事が参加している募集
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?