見出し画像

方舟の盟主を想う

6月13日、プロレスラー三沢光晴選手の命日に想いを一筆
※画像は他のユーザー様が使用したものを利用しています。

私はプロレスが好き。子どもの頃から好きで一度総合格闘技に流れたあと
YouTubeで初代タイガーマスクとダイナマイト・キッドの試合を観て沼へ深々と

当時は4代目タイガーマスク選手がいたので新日本プロレスを追い始めた最中
私の趣味のほとんどの大元である伯父がプロレスリング・ノアの札幌大会へ誘ってくれた。
まだまだプロレス初心者だった私はなんもかんもよくわからないノア、社長兼看板選手である三沢光晴はどうやら2代目タイガーマスクだったらしいが、マスクを脱いでしまった事に無知な私は不満たらたらでした。

札幌月寒グリーンドーム大会はグローバルタッグリーグの最中ながらメインイベントに秋山準vs潮崎豪のGHCヘビー級選手権が行われる注目の興行
三沢さんは6人タッグマッチで確か杉浦貴、伊藤旭彦と組み。小橋建太、田上明、谷口周平組と対戦
試合開始前に大小橋コールを受けて小橋さんが先発、それをみて三沢さんが先発して小橋vs三沢で試合がスタート
2人の闘いだけ覚えている。奇しくも、三沢さんが小橋さんと戦ったのはこれが最期になってしまいました。

2009年6月13日、当時大学生一人暮らしの私に飛び込んできた三沢さんの死を告げるニュース
ついこの前観た人が、どうして…
ノアは三沢さんの意思を継ぐべく次の福岡スターレーン大会を予定通り開催。
選手それぞれが三沢さんへの想いを込めて闘う
中でも三沢さんの死の原因となったバックドロップを放った齋藤彰俊選手は号泣しながら戦っていたのを今でも思い出します。2024年現在、インタビューでいまだに死ねと言われるが、その度に謝りそれでも闘う事を伝えているらしく、誰よりもつらく苦しいイバラの道を歩んでいる様でした。
私はノアの中でも一二を争う好きな選手が齋藤彰俊選手、今日も闘い続けてくれる事に感謝しかありません。

そんなこんなで三沢光晴を改めて知り、プロレスリング・ノアが大好きになり
人気低迷で世間がバカにしてせせら笑い、見限っても私はノアが沈むなら運命を共にする気持ちで札幌大会を観戦してました。
鈴木軍による侵略の際は心が折れかけ「三沢さんが…三沢さんがいてくれたら…」と泣いてしまった事もありましたが
どうですか今の盛り上がりよう!

ようやく胸を張り、三沢さん今のノアはどうですか?と聞ける様な気がします。
ノアを去った選手もあちこちで頑張ってますよ。ノアを好きになってよかった。
エロ社長な面などもっと三沢さんに触れたかったです。

本物のヒーロー 三沢光晴へ愛と敬意を込めて

2024年6月14日執筆

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?