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AI時代に備え, 人類は昭和を取り戻さなければならない, かもしれない。
AIの進化が目まぐるしい. 特にAGI(汎用人工知能)が実現したら, 人類の7割(勝手な予測だが)は仕事量が圧倒的に減るだろう.
"減る"というのはマイルドで, 厳しい言い方をすれば, "失う"かもしれない.
ここで7割と予測したのは, 単純にホワイトカラーの割合がそれぐらいといわれているからである.
そのような時代に仕事を生きがいとしたいのなら, 今ある仕事に何かしらの付加価値をつけていくことが重要であるはずだ.
また, そのような付加価値となるものは, 誰でも思いつくようなものとの単純な掛け算ではダメだと思う.
そこで試されるのが, 自分の中にある"暗黙知"である.
暗黙知とは何か. 簡単にいうと特殊能力. もう少し掘り下げると,"説明はできないが, どうすればいいのかは知っている"能力のことを暗黙知と呼ぶ.
例えば, 自転車に乗る技術は暗黙知の一例だ. 自転車に乗る際, バランスを取る方法は実際に体験して学んだものであり, これを言葉で完全に説明するのは難しい.
まだまだ得意とする人が少ない領域では, この暗黙知が重要な役割を果たすことが多い. わかりやすい身近なものでいうと, ITや物理学,数学がその典型といえるだろう. プログラミングにおける問題解決の直感や, 数学的な直観, 実験物理学における装置の扱い方など, 学習や経験を通じて身につける知識の多くが, この暗黙知に該当する.
そのような暗黙知のつけ方を私は知らないので, 興味のある人は調べてほしい.
今回の記事で私が言いたいのは暗黙知についてではなく, AI時代に片足を突っ込んでいる現状において, 私たち人類に求められる能力が, コミュニケーション能力であるのではないか, ということだ.
余暇ができれば, 子供よりも大人のほうが外を出歩くだろう. それによって生まれる新たな問題(育児放棄など)もあるだろうが, ここでは触れないでおく.
インドアやアウトドアと大別されるように, 誰しもが外に出るかというとそんなことはないかもしれない.
しかし私が言いたいのは, これまでよりも社交の場が相対的に増えることは確かだから, 自らの特性によってコミュニケーションを苦手としている人たちへの支援が必要なのではないか, ということである.
例えば, ASD(自閉スペクトラム症)やAPD(聴覚情報処理障害), その他精神疾患によって社交的な場が得意でない人たちは, 今よりも生きづらさを抱えてしまうかもしれない.
AIが多くの仕事を担う未来では, 人間の役割が「生産」から「創造」や「交流」へと移行する可能性がある. いや, 確実にそうなる. この過程で, コミュニケーション能力は新たな形で価値を持ち, 人々が相互に理解し合い協力するための基盤となるだろう.
なので, コミュニケーションの障壁に直面している人々への支援は, より平等で協力的な社会を築くためには不可欠なのだ.
そのような困り感を持つ人たちを支えたいと思ったから私はエンジニアを志し, 大学を休学して, いま駆け出しのエンジニアとして日々勉強と自分と社会の未来構想をしている.
テクノロジーはとても面白くて, 使い方を間違えれば簡単に人類が滅んでしまいそうなほどに強力だ. しかし, 心優しき側面も持ち合わせていることは, 歴史を振り返ればわかるだろう.
来るAI時代に備え, 私たちはある意味での昭和を取り戻さなければならないのかもしれない.
ただ取り戻すだけでなく, 現代に当たり前に存在する莫大な情報量と昭和の世界観をミックスすることが重要だ. でなければ, 回覧板を渡すついでにあることないこと言いふらす厄介な人間をも蘇らせることになりかねないからね.
昭和を取り戻すことができたのなら, 人間関係の密度を高め, コミュニティの結束を深める機会が増えていく. そんな気がしている.