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『激動 日本左翼史』 池上彰/佐藤優

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『激動 日本左翼史』講談社現代新書

 今年は日本共産党が結党されてから100年、あさま山荘事件から50年という節目の年である。
 イデオロギー(思想)はなぜ人間・組織を狂わせてしまうのか。戦後左翼の道のりをたどりながら、この普遍的とも言える問題について考えようというのが本書の目的だ。
 池上さんのこれまでのイメージーーテレビ番組では私見をあまり交えずに、ニュースを解説している場面が多い。とくに私にとってはNHKの「こどもニュース」の印象が強いーーからすると、戦後左翼というある意味で危ういテーマについて語ろうとする姿勢に少し違和感がなくもない。ただ、彼には当時を知る者としての使命があるようだ。

左翼の顛末を歴史の教訓として総括することは、最も学生運動が盛り上がっていた1968年に大学生になった私の使命でもあります。
『激動 日本左翼史』21頁

 また、明治から現代までの日本左翼史を著述したいという野望を佐藤優さんと共有しているらしい。前作の『真説 日本左翼史』も非常におもしろいので、興味のある方はぜひ読んでほしい。

 最後に、これは共著者両氏が指摘しているが、戦後左翼の失敗が現在にまでいたる政治への無関心(総ノンポリ化)を引き起こしているのではないかという見方は興味深かった。より視野を広げれば、学生運動が盛り上がりを見せる背景には、大正期から60年代にかけてみられる大衆教養主義が衰退しつつあったことも見逃せないだろう。
 当初は学生運動に同情的だった世間も「あさま山荘事件」を目の当たりにしてから、政治そのものと距離をとるようになってしまった。学生運動から身を引いた者たちも、何も成し得なかったという挫折感を拭えないままに社会へ戻っていく。70年代はそのような雰囲気を纏っている。

もうひとつは「最後に信用できるのは家族だけ」という意識から発する生活保守主義です。政治など社会の問題に対して、自分たちと地続きの問題として真剣に捉えず、たまに話題にすることがあっても居酒屋論議レベルの無責任な議論しかしない。「政治」や「社会」と、自分たちの「生活」を完全に切り離して自分の生活だけ大事にし、あとは自分のキャリアアップのためだけに頑張る。そういう新自由主義の母体をつくったという意味では新左翼運動の影響は大いにあったと思います。
『激動 日本左翼史』248頁

 日本の近現代史においては「敗戦」がクローズアップされがちだが、戦後左翼の失敗は「敗戦」と地続きになっていることも見落としてはならない。むしろ、「敗戦」という経験をどのようにして次に繋げるかという意味で大きなターニングポイントだったのではないか。「戦前」と「戦後」の間を結ぶ切れかかった糸、それを完全に断ち切ってしまったのが新左翼運動だったとしたらーー。

#5冊目

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