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読書随想【2022/5】

『オスカー・ワイルド』 宮崎かすみ/中公新書

この本を買ったのは、石川県立美術館で開催されていた「ビアズリーと日本」という展覧会でのことだった。それが2016年だから、およそ6年もの間積読していたことになる。

なぜようやく読む気になったのかといえば、以前に読んだ『ダンディズム』(山田勝/NHKブックス)がとてもおもしろかったからだ。時は19世紀、「無教養な成り上がり者」としてブルジョワが社会的地位を高める一方で、没落してゆく貴族やジェントリーたちの一部はそうした社会の流れに抵抗した。それは俗物を侮蔑する姿勢であったり、独特なファッションとして表現されたのだが、それらの根底には近代文明批判があったという。
もちろん、その本にもワイルドが登場する。

ワイルド「ダンディーは二流の詩人であっても、一流の詩人であってはならない。ダンディーの生活そのものがのが一流の芸術作品だからだ。」
『ダンディズム』54頁

ならば、ワイルドの評伝を読まねばなるまいと、棚の奥から引っ張り出してきたのが本書だった。
通読してみると、周囲の人間に迷惑をかけっぱなしだったーーワイルドは結婚しており、妻のコンスタンスには終生お金を工面してもらっていたーーことがわかる。しかし、どこか憎めないところもある。そのおかげか、ワイルドがどれだけ不利な状況にあっても、彼をサポートする人は多かった。

ちなみに、ワイルドはビアズリーに手を出そうとしたが一蹴されたそうだ。『サロメ』の挿絵のひとつには、ワイルドが肥満体の醜い姿で描かれている。

『映画を早送りで観る人たち』 稲田豊史/光文社新書

ある書店員から薦められ読んでみると、これがまぁ恐ろしい内容だった。ようするに、芸術作品に対する向き合い方が大きく変わりつつあり、その傾向ーーもちろん著者は大々的に調査を行ったわけではないので、本書の内容を過信しすぎてはいけない。しかし、聞き取りの対象には脚本家志望の声も含まれているーーが若い世代で顕著にみられるという。具体的なことをあげるとキリがないためここでは割愛するが、文化的なものに携わる方にはとにかく読んでほしい。「ものを売る」という営みの持つ意味が変わりつつあるのかもしれない。

『どすこい出版流通』 田中達治/ポット出版

筑摩書房の新刊案内に「営業部通信」というコラムがあった。そこで執筆されていた田中達治さんの文章を集めたのが本書である。エッセイ風の文章でとても読みやすい。脚注が非常に丁寧かつ豊富で、勉強になる内容だった。

流通に詳しい書店員は実はごく少数で、よく知っているのは店長やエリアマネージャーにあたる人たちだけかもしれない。実際、現場で棚を管理している書店員のほとんどがアルバイトや契約社員だから、店の経営には直接関与しないことが多い。問い合わせの嵐を凌いだり、毎日やってくる本を捌くことで現場の人間は精一杯なのだ。そのようにして書店で働いていると、出版社サイドが何を考えているのかはどうしても見えにくい。

ここ最近は、事前予約した本が予約数通りに入荷しないなど、大型書店と小規模書店との間で配本の格差ーー皮肉なことに、最近の事例では『東京の生活史』(筑摩書房)が小規模の取次にほとんど卸されないというものがあった。ただこの場合は、書店の格差ではなく取次のそれであるーーが未だに是正されず、Twitterでもたびたび話題になっている。しかし、話題になるだけでなかなか改善には向かっていない。むしろ「出版社サイドの怠慢で現場(書店)が苦労しているのだ」という不満が書店員の間ではかなり高まっているようにおもう。両者の溝がこれ以上深くならないうちに、お互いがそれぞれの現状を認識することから始めなければならない。

本はその文化的側面が重視されがちだが、
そのためにも「物流」の観点を欠いてはならない。
肝に銘じておきたい言葉だ。


『親指が行方不明』 尹雄大/晶文社

「生きづらさ」というものは、医師から病名を告げられれば解消されるものなのだろうか。私はそうはおもわない。
以前、職場の人間関係や仕事上のストレスに悩み、精神科で診てもらったことがあった。いろいろなテストを受けさせられた結果、軽度の発達障害(ADHD)・社会不安障害と診断された。ADHDは薬を飲むことで症状の改善が見込めるらしい。医師からは服用するかどうか尋ねられたが、断ってしまった。副作用があるというのも理由だったが、それよりも薬で治すことに対する疑問の方が大きかった。つまり、それは自分を誤魔化していることになるんじゃないか、と。
それに、病名を与えられることで安心したいという欲望が少なからずあったとおもう。実際、いざ診断されてみると「ああ、安心したかっただけなんだな」と気づいてしまった。それでも安心しきれない人が薬に頼るのだろうか、とかそんなこともつい考えてしまう(※もちろん薬に頼ることは悪いことじゃない。そうせざるを得ない状況もある)。

当時の私の経験を整理するうえで、本書はとても参考になった。

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