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普通の幸せ、ありきたりな幸せ、当たり前の幸せ。 〜好奇心と探究心を失った僕は再び人を好きになることがあるのか〜

2022年のゴールデンウィーク
1年延期になっていた善光寺の御開帳に家族で行った。

ここで引っかかったことではない。
ゴールデンウィーク前に親に電話で言われたことが
とてもネックになってしまった。。。

「御開帳は7年に一度。
次の御開帳の時には、それぞれ所帯を持ってると思うから
これが家族で行く最後の御開帳になるね。」

これを言われた瞬間、一瞬頭が真っ白になった。
何故なら、2021年の上半期、私は恋愛感情そのものを失った。
言い方を変えると、人を異性として好きになることが
突如としてできなくなってしまった。。。

直接的な原因はわからない。
自分では、ストレスの溜め過ぎで起こったと思っている。

ここで少し話を変えてみる。

2021年の年末、中学・高校で好きだった人が結婚したと知った。
上京して以来、一度も会ってなかったから、悔しいという気持ちはなく、
ただただ「おめでとう!」
という気持ちだけが湧いてきた。


僕は、この2つの出来事を不意に結びつけた。
すると、ある一つの一般的な答えにたどり着いた。

それは、「結婚=幸せ」「家族=幸せ」

これらを否定するつもりはない。
実際、それで幸せな人は多数いる。

しかし、今の僕は色々な意味でわからなくなってしまった。

「好奇心や探究心のない人間は人間じゃありません.猿以下です。」
by女王の教室

話を最初に戻すと、
今現在、私は恋愛感情がないままだ。
失う前までは、
俗に言うリア充を見ると、

羨ましいと思ったり
嫉妬したり
妬んだり

という時期もあった。
しかし、恋愛感情を失ってからはと言うと
どうでもよくなった。

いや、正しくは
リア充を見ても「何も、、、感じなくなったんです。。。」

今となっては、
You Tubeの恋愛スキル関連の動画を見ても
つまらないと感じてしまったし、
習慣と化していたマッチングアプリも全て
アンインストールしてしまった。

だからこそ、
「結婚=幸せ」
が本当にわからなくなってしまった。

「家族=幸せ」
がわからない理由は、別の原因がある。
一つは、自分自身の特性。
もう一つは、過去の自分の出来事。

少し、視点を変えてみると
「地元愛」
というものが物心がつく段階からないと思う。
別に、地元の長野県に対する話はそれなりにできる。

ただ、「地元は好きですか?」

という質問が結構堪える。

たぶん、「地元愛」がある人に対して
反論しようと思えばできる。
ただ、そんなのは時間と気力の無駄である。


とりあえず、恋愛感情が復活するまでは、

キャリアと収入と資産

だけを突き進めようと思います。


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