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【人道支援チャド】紛争地の医療(5/5)最終回 ~再会~

割引あり

みなさん
人道支援家のTaichiroSatoです。

今回は全5話の「紛争地の医療」の最終話をお届けします。
まだ前回の投稿を読んでいない方は、まずはコチラを読んでもらえたら。

前回投稿→→【人道支援チャド】紛争地の医療~青年と父とアッラー~ 
(4/5話)

また僕の投稿内容のイメージが湧くように僕のインスタグラムで写真や動画を可能な範囲でアップしました。
興味のある方はnoteと合わせて楽しんでもらえたら嬉しいです。

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Taichiro Sato(@taichirosato_ig)

紛争地の医療~再会~

「紛争地の医療」全5話の最終回です。
ーこの投稿は2023年4月から10月のチャドでのプロジェクトの記事ですー
(※登場する人物の名前は実際の名前から変えてあります)

彷徨う女性
この日僕は、新しく20代前半の男性が入院してきたのを知っていた。
胸を撃たれ肺にダメージを負った若者は右胸に胸腔ドレーンというチューブを入れた状態で、ぐったりとしていたものの幸いにも一命をとりとめた状況であった。

ここチャドの緊急テント病院では命からがら逃げてきた人たちが辿り着いた場所である。
逃げる過程で家族と離れ離れになったり、大切な家族を失った経験をしている人たちがほとんどで、家族が面会に来ないといった患者も多い。患者本人が子供である場合であっても家族がどうなったかわからないという回答をもらうことが残念なことに本当にたくさんあった。

来る日も来る日もこの胸を撃たれた若者のところには家族が来なかった。
その状況からこの若者の家族ももしかしたら、、そんなことを僕は考えずにはいられない。

そんな日々を1週間と過ごしたある日。
一人の若い女性がその若者のもとに現れた。
その女性は彼をテントの中に見つけるなり駆け寄り、泣き崩れた。
彼も彼女を抱きしめて泣き崩れたのだった。

その女性は、若者の妻だった。
妻は広大な数万人いる難民キャンプの中で彼の無事を祈りながら何日も何日も歩き、探した。
しかし彼は見つからなかった。
その最中、国境なき医師団が建てたテント病院があることを聞き、そこにいるかもしれないと思ったそうだ。
僕らの病院の中を探し回り、ついに夫である彼を見つけた。

実に、はぐれてから1週間以上の日数が経っていた。
この間どんなに不安だったのか、僕には想像もできない。
胸に管が入っている彼をみながら、生きててよかった、会えてよかった、そう何度も、何度も彼に伝えていた。

再会できる確率
この時、僕は同じテントの違う患者の傷の処置をしているところだった。
そして、この一部始終を見ていた。
泣き崩れる両者をみて僕ももらい泣きしそうになったのだが、
その時の僕の心はどこか複雑だったのだ。

言語化が難しい感情が僕の中にある。
もらい泣きそうになった僕の心の中には、彼らが会えて良かったという安心の気持ちと、それとは反対に「会いたい人に会う」それだけのことがこんなにも難しい現実に虚しくなったのだった。

もちろん、この2人が再びここで会えたことは、奇跡に近しい。本当に良かったと思う。ただ、毎日毎日、暴力に傷ついたたくさんの人たちの生きると死ぬに向き合い続けている僕らからみて、ここにいる他の大勢の人たちに再会の奇跡がどのくらいの確率で起こるのだろうか。
ほとんど起こり得ない現実。

会いたい人にもう一度会う。
ただそれだけなのに。
世界中ほとんどの地域で、日常の中で当たり前に大切な人と再会する機会があるというのに。
ここではそれは奇跡と呼ばれる。
こんなに辛く悲しいことが、この地に今生きている人々のリアルなのである。

現実と向き合う
僕らのテント病院の近くには井戸があり、数人の女性たちに連れられて、たくさんの子供たちが水を汲みに来ている。元気のいい子は井戸の周りで走り回るが、その中には栄養失調の子供たちもいる。
母親を失い、他の母親に育てられるケースもあるそうだ。

とある2人の子供たちが僕の目に留まる。
井戸から少し離れた木の木陰に二人で座っている。
目と鼻水のところにハエがたかり、ぼーっとしながら地面にある砂利を口元へ運びもぐもぐとしては呑み込む。
この子達はこの先ここで生き抜いていくことが出来るのだろうか。
それを見て僕は、どうすることもできない不安を感じる。

チャドは、世界的に見ても「5歳未満死亡率」の非常に高い国であり、アフリカでは隣国である中央アフリカ、ナイジェリア、シエラレオネなどが同様に高い国としてあげられる。

タイチロ調べ

わかっていることだが、僕らにスーダン紛争を止めることはできない。
僕らに、この場所の社会現象を変えることはできない。
僕らはひたすら大きな流れに翻弄され、それに適応し、その流れの中でもがきながら「医療で今よりちょっといい未来を作る」そんなことをカタチにしている。そんな気がする。

朝から晩まで、来る日も来る日も止まることのない暴力に苦しんでいる人たちが到着し、僕らは治療をする。
紛争が落ち着かなければ根本的にこの事態が収まることもないのかもしれない。ひたすらに限られた資源の中で治療を選択し、傷を洗い続ける日々。
僕らは何ができているのだろうか。「空しい」そう思わずにはいられなくなることが時折ある。果てしない、そう思った途端に、とてつもなく大きな疲労が僕を襲う。一度考えたら、一度立ち止まったら、もう進むことなんてできなくなるかもしれない。そんな台詞が僕の脳裏を時折通り過ぎ、僕は立ち止まることなく、ガムシャラに毎日を走っていたのかもしれない。

現実と向き合う。
現実を受け止める。

それ自体の聞こえはいいが、実際はそんなに簡単なことじゃないのかもしれない。
真正面からここで起こることを全て受け止めていたら、とてもじゃないけど持たないと思う。

よく世間はメンタルが強い人、そうでない人という言い方をするけれど、
僕は心が強い訳でもなんでもなく、

僕に変化を起こせること
僕にはどうにでもできないこと

この二つを見極めて、僕に変化が起こせるものに全力を注ぐ。
出来ることを見つけて、計画実行し、評価修正している。
それだけだ。
それを無我夢中で繰り返しているうちに、ふと後ろを振り返ると案外遠くまで来ているもの なのかもしれない。


僕はテントでいろんな患者の傷を洗いながら、このテントの中の先ほど再会を果たした若者の、隣にいる小さな少年に目をやる。
少年の家族を僕は見た事がない。彼の家族は一体どこにいるというのか。
果たして生きているのだろうか。

ここで再会することを奇跡と呼ぶのなら
奇跡の確率を上げることはできないだろうか

現実から逃げずに 向き合ったらとしたら
奇跡の確率は上がるのだろうか

一人でも多くの人にとってこの奇跡が起こればいい
一人でも多くの人が今まで当たり前だった日常を取り戻せたらいい
会いたい人に会えたらいい

こんなことを感じ、考えながら、僕は先ほどの若夫婦2人に「よかったね。」と心の中で言葉を送り、僕は再び熱いテントの中で、屈み下を向き黙々と患者の傷を洗うのだった。
 

名前も知らない誰かのこと
僕には今回のこの紛争の当事者の感情や細かな背景を知らない。
少なくともスーダン(国軍)の側からみた紛争をまったく知らない。
どっちがいい、悪いの話は僕にはできない。

ただ、どっちが勝つにしても、どうなっても誰がハッピーになるのかが僕には説明が出来ず、この争いが生み出すものに負のエネルギーしか感じなかった。この紛争によるジェノサイドは、世代を超えたイスラエルとパレスチナに代表されるように歴史になり後世代へと残っていく。そして歴史は繰り返されるのかもしれない。
わかる気がする。
家を追われ、家族を殺された人たちがこんなにもたくさんいる。
その憎しみの力は計り知れないほど大きい。
そんな負のエネルギー連鎖のど真ん中に今自分がいるとことを認識した。

毎日傷の手当をし、群衆の中でもみくしゃになって、抱えきれない問題と対峙し、追いつかない治療と老若男女の命の危機に疲れたなんて言えないと思う。しかし、このころの僕は心も体も確実に限界が近づいてきていて、この日は、一日休むことに決めた。
 
現場を知れば知るほど僕には理解不能で、歴史や今の社会情勢を知れば知るほど、怒りではなく哀しみなのか、何とも説明ができない気持ちになる。

戦争とは、争いとは、憎しみ合いとは。
サッカーじゃだめなのか、
なぜ誰かを迫害する必要があるのか、殺す必要があるのか。
人間は繁栄したいのか否か。
わからなくなる。
表にならない世界の闇。
そこで生きる人がいる。

エピローグ ~ 明日を想像する力を ~
毎日テントを駆け回った。
今日も所定の場所に昨日もいた同じ患者がいることに、
「今日も生きている。よかった」安心するといった日々を送っていたチャドでの活動。
テントから一歩外へ出るとそこは数万人の桁違いに大きな難民キャンプのど真ん中で、子どもたちは無邪気に遊び、「ナサラーニー!(ムスリム以外の人のことを言うらしい、ここでの意味は外国人といったところだろうか)」と口々に叫んでは、鼻水でダラダラな手でニコニコしながら僕にペタペタと触ってくる。

左半身が麻痺した青年が手足が動くようになった時。
彼らは青年の父はこれは奇跡で「神様が守ってくれた」といった。
若夫婦が再会を果たした時。
彼らはこれは奇跡で「神様が導いてくれた」といった。

神様が守ってくれた、神様が導いてくれた。
きっとそうなのだろう。
キリストであれムスリムであれ宗教的なところはもちろん彼らをリスペクトしているし、神様が守ってくれたのは本当でそれは素晴らしいこと。

だけど、人の手によって それ は、起こされている。
政治的なのか、歴史的なのか、宗教的なのか、はたまたそのどれもかもしれないが、銃を治療するために努力するのではなく、銃でケガする人がいなくなる努力はできないのだろうか。

奇跡なんかじゃなく
当たり前に 会いたい人に会い
当たり前に ご飯を食べ、水を飲み
当たり前に くだらない事で笑いあう

明日を想像できるということが、どれだけ素敵なことか。
明日も当たり前に生きるということが、どれだけ素晴らしいことか。


世界中のどこであっても
明日を想像する力を すべての人に
そんな世界を想像する力を あなたに

人が想像できる世界は
時を越え
現実となるのだから


だから
その時まで
命のバトンをつなげ


ー完ー
紛争地の医療、いかがだったでしょうか。
僕が見たり体験したものはほんの一つの世界でしかありませんが、皆さんの中で何か感じるものがあれば嬉しく思います。

ーーー紛争地の医療 全5話 ーーー



※投稿内容は全て個人の見解です。
最後まで記事を読んでいただきありがとうございます!
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また次回お会いしましょう。
Best,
Tai



✎2024年より✎
2024年1月1日 能登半島地震で被災された皆様、1日も早い安心安全な日常への復旧を願うとともに災害に関わる医療者として自分に出来る形でのサポートを模索していこうと思います。
亡くなられた方々へのご冥福をお祈り申し上げます。
被災地への僕なりの形として、国内外の災害に精通する医療者として、日本の民間企業の災害支援事業をアドバイザーとしてサポートすることになりました。一般社団法人Nurse-Men のメンバーを中心といた民間の災害対策本部を設置し、中長期的な被災地支援を実施していきます。
ご支援いただけますと幸いです。

尚、ぼくの投稿は全文公開にしていますが、有料記事設定しています。
頂いた金額は2024年1年間は能登復興支援に活用させていただきます。
よろしくお願いします☺

「🏝Naluプロジェクト🏝」
みんなで応援し合える場所づくりとしてメンバーシップを立ち上げ運営しています。2024年で2年が経ちました!興味がある方は一緒にメンバーシップを盛り上げてくれると嬉しいです。


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