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引き算の勇気

 今年度久しぶりの転勤をし、学校を変わることで大きく環境が変化しました。同じ市内と言っても学校が変われば特色も変わるもので、他所者である私は違和感を感じることが多々あります。そこで感じたのは、我々教員というのは「引き算」が苦手だということです。

 新型コロナウィルスの大流行によるパンデミックをきっかけに様々な学校行事が縮小されました。長期の学校閉鎖があけると総合体育大会が中止となっていました。さらに、体育大会や文化祭の規模縮小が行われ、それまでは当たり前に行っていた学校行事がどんどん減らされていきました。そのことに当時の私は不満を持つことも多く、反発していたようにも思います。ところがその反発は「生徒のため」ではなく、「これまでできていたことができなくなる不自由感」への反発であることに気付きました。

 意識して見てみると学校現場では、「これまでは~~だったから」と前年度を踏襲することが非常に多いことに気付きました。多くの学校行事が前年を踏襲する形で提案され、運営されています。その中に前年度の反省が少し生かされていれば良いほうで、担当者によってはそれすら望めないことも・・・。(これは学校現場だけでは無いかも知れませんが・・・。)本来はよく吟味して、より良いモノへとアップグレードしていかなければならないのに・・・。ところが我々教員にはそうしたことにじっくりと取り組むだけの余裕がありません。次々と舞い込んでくるトラブルに、日々の授業の準備、果ては味方のはずの教育委員会から締め切り直前に送られてくる書類など・・・。あげればきりがないのですが、コロナ期間はこれに加えてコロナ対策の消毒など、私が現場で働くようになってから、減った仕事などほとんどありません。どう考えても「これは無くても子どもに影響ないよな」というものでさえ、「これまでしてきたから」という理由で、またやらなければならないのです。

 前任校では、学校行事の精選、仕事の精選を行い、仕事量が減った実感がありました。その分、生徒と向き合う時間が取れたり、授業の教材研究をする時間を取れました。個人的な感覚にはなりますが、余裕をもって生徒と関わることができるようになったため、突発的なトラブル対応が減り、見通しをもって仕事をマネジメントできるようになったように感じていました。しかし現任校では、コロナでなくなっていたはずの行事が復活し、仕事量は元に戻っていました。おそらく精選をしてこなかったのではないかと思います。もちろん私自身が身に付けた仕事のマネジメント力や、生徒への向き合い方が無くなってしまうわけではないので、若手のころよりは効率的に仕事をこなし、自分の息子たちと向き合う時間も取れますが・・・。

 私を含め学校現場では、「やめる勇気」が足りないなと近頃強く感じています。生徒への影響が少ないモノや、生徒や教員にとって負担が大きく教育効果が薄いものに関しては辞めてしまうのも1つの考え方です。特に全校で動く行事に関しては、よく考えなければ一部の人間のために大多数がほとんど得るもののない無益な時間を過ごすことになってしまいます。果たしてそれは、本当に必要な活動なのでしょうか?掛かる労力や時間と、教育効果を天秤にかけて、しっかりと吟味していきたいものです。

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