カンボジアの森キリロムで考える地域の未来
2020年2月6日(木)~8日(土)の3日間、カンボジア南西部のキリロムで行われたキリロム会議2020に参加してきた。たくさんのインプットをきちんと咀嚼して今後に活かしていくためにも、帰国直後の印象をまとめておく。
vキリロム・ネイチャーという新しい森林都市
会議のテーマそのものでもある会議会場は、規格外起業家の猪塚武さんのチームが開発しているvキリロム・ネイチャーという高原である。
約20年後の完成時には、学生数3万人、居住者数10万、面積1万ヘクタール(山手線の内側の1.5倍)という日本では想像しづらいほど巨大なプロジェクトであり、不動産開発というより「新しい森林都市」をつくるという方が適切だろう。
事業としては、世界水準を目指すキリロム工科大学(KIT)と市民にもやさしいエコツーリズムを事業の両輪として、さらにはリゾート開発とICTビジネスを組み合わせながら、壮大なビジョンの実現に向けて前進している。
私個人は、5年前に開発マスタープラン検討の一部を仕事としてお手伝いさせていただいた。カンボジア人のスタッフとウェブ会議しながら、地図もない広大な土地に、開発プログラムを組み立てながら配置していくという、日本では得られない経験をさせていただいた。
詳細は以下の公式サイトや英文記事を参照されたい:
キリロム会議2020
キリロム会議は、vKirirom Nature関係コミュニティーの年次総会であり、私は初参加だった。
運営母体がキリロム工科大学になって今年が2回目、宿泊施設が増えたので昨年の倍の100名の定員で開催された。ほぼ全員が日本人(ほとんどのセッションは日本語)だったが、参加者の専門領域、活動拠点、性別や年代など多様性は高く、わざわざキリロムまで自費で参加されるだけあり、好奇心旺盛が面白い方ばかりだったのが印象的だった。
セッションのテーマは教育、IT、建築など一見バラバラだが、会議の目的がvKirirom Natureの発展戦略の議論であることを踏まえると当然である。
運営もアジャイルだったので当日の変更も多数あったが、プログラムは以下のサイトを参照されたい:
100人というのはギリギリ顔がわかる規模で、3トラックが並走したため各セッションは少人数で対話が活発というのはとても好印象。あまり良い写真が無いのだが、当日の様子を2枚ほど:
5年間の開発の進捗
会議内容とは別に、個人的には5年間の開発の進捗を確認することが参加目的の一つだった。
会議中に自ずと敷地内を移動することができ、たくさんの新しい施設が出来ていて驚いた。このスピード感は日本では考えづらいが、一方ではアジア標準とも言えそう。
そして、とても嬉しかったのは、多くの人の営みが見られたこと。とりわけ、大学が軌道に乗り始めて多くの学生(若い!)が暮らし学んでいる様子は、仏に魂が入ったような感動があった。
とは言え、1万ヘクタールの森の中で施設が建つのはごく一部であり、現時点での施設は小さく纏まって木々の間に配置されている。
ランドマークであるPine View Kitchen周辺
夜のバンケット。シンガポール風のオブジェが…
5年前は影も形もなかったキリロム工科大のキャンパス(第1期)
自然な風通しの良さ
データ・センター(という看板は出さない方が…)
投資対象でもある4人向け学生寮 Type R
@8人 x 3部屋の24人が住む学生寮の共用部
上記の外観
はなまる学習会の物件Type S(だったと思う)
宿泊棟も増えていてパイプ・ルームが新型に。手前は二次会のバー・カウンター
私が泊まったラグジャリー・テント。高床式が風土に合っている
建築学部のあり方
今回登壇したのは建築学部のあるべき姿というセッション。今年秋の開校を目指してプログラムを固める段階にあり、あらためてミッションやカリキュラムのあり方を議論、というより作戦を練った。
2人はウェブ参加(photo by Ms. Fukui)
議論では以下のような論点が出されて、今後の課題が浮き彫りになったと思う(きっとなった)。
多数ある既存大学との差別化要素は?
建築の対象をランドスケープや都市計画に拡張するか?
キャリアパスを描く上で資格取得をどう考えるか?
4年制と5年制、いずれの期間が妥当か?
IT学部やホスピタリティ経営学部との相乗効果は?
vキリロム・ネイチャーの開発事業と教育の連動は?
私としては、建築学部の目指すべき方向として、東南アジアの空間づくりのリーダーを輩出する実務教育として、資格取得にこだわらず、以下のポイントを踏まえたカリキュラムを編成していくのが良いように思った。
専門特化:vキリロム・ネイチャーを現場として、ITやホスピタリティの既存学部と連携した環境デザインへの特化
国際化 :カンボジアと日本だけでなく、東南アジアを中心に他国留学生と教員を拡充した国際性の強化
地域連携:vキリロム・ネイチャーだけでなく、周辺の既存集落も現場とすることで、社会的な学習機会を強化
参考までに、周辺の集落の様子を少しだけ添えておく:
ココナッツ・スクール正面のランドスケープ
国立公園内のアプローチ沿いにある住居。建設作業員が住んでいるのか?
国道(?)4号線と46号線の交差点周辺の街並み
関係者から感じとったこと
5年の間にキリロムには多くの人が暮らし、学び、働くようになっていた。彼・彼女たちとの会話は、今後のことを考える最大の手掛かりだった。
カンボジア人学生
当然ながら、学生の殆どはおおよそ18歳~22歳のカンボジア人(大学院はない)。カンボジアの大学進学率は14%(2008年国勢調査。統計が古い)であり、激戦の奨学金を獲得して本学で学ぶ彼・彼女たちはスーパー・エリートである。皆さん英語はペラペラで、希望に満ちた目力とともに、積極的に会話してくれた。ホスピタリティ経営学科の生徒は参加者へのアテンドの役割を担っており、私を担当してくれた聡明でやさしいViriyaさんとは、学生生活から将来展望、家族や育ちのこと、カンボジアの課題と展望など、本当に色々なことを話した。彼・彼女たちに学びの機会をつくる本事業の意義は、カンボジアの未来にとって大きな意味を持つと確信した。
一生懸命に二次会を回すホスピタリティ経営学部の生徒たち
学生ピッチはとてもレベルが高く、生徒の聡明さに感心
教育の効果も垣間見えた気がする
日本人留学生
キリロム工科大には20名近くの日本人留学生がおり、その中の厳選された5人の女子学生のセッションは素晴らしいものだった。
10代で既に自分のことを深く内省し、将来のことを謙虚かつ真摯に考え、自力で道を切り拓く覚悟を持っていることに感心させられた。一方で、日本の教育や社会への鋭い問題提起や、キリロム工科大学の課題の指摘も容赦なく、これまで見てきた同年代の日本の学生と比べて遥かに成熟している印象。キリロム工科大学そのものが、この学生たちとともに成長していくのだろう。
裏を返せば、彼女たちは新しい大学を一緒につくっていく機会を得ているのであり、その機会を踏み台に彼女たちは国際的なリーダーに育っていく可能性に満ちているのだろう。
登壇した5人の学生との対話は今回の訪問のハイライトだった(逆光が残念)
スタッフ
5年前は猪塚武さんが全てのことを自力で回していた印象だったが、今回は大勢の優秀なマネジメントやスタッフの方にお会いした。そして、それぞれの役割や視点から、vキリロム・ネイチャーの将来についてお話を伺うことができ、規格外の猪塚さんとビジョンを共有しながら、山積する課題をチームとして真剣に解決しに動いていることに感心させられた。
これからも様々な課題に直面し続けるだろうが、今回のキリロム会議の参加者を筆頭に、このチームに協力を申し出る人が大勢いるだろうし、自分も役に立ちたい気持ちにさせられた。
クロージングで話すマネジメントの方々
隣接する私塾「ココナッツ・スクール」
エクスカーションの中で、学校に行けない子どもたちが学ぶ私塾に連れていっていただいた。キリロム工科大学の生徒たちも30分歩いて時々気晴らしに来ているとのこと。
この私塾は環境を主なテーマとしており、廃材を拾って持ってくれば無料で学ぶことができる仕組み。同時にオーナーが企業寄付を集めており、手づくりの校舎で、地域のボランティアたちが先生となって運営しているもの。授業風景は見られなかったが、そこで遊ぶ子どもたちと少しだけ言葉を交わす機会もあり、みんな穏やかだったことが印象的。
まだまだ学校に行けない子どもが多そう(6-14歳の就学率は80%らしいのだが。2008年国勢調査)で、栄養不足か年齢の割には小柄な子が多いという社会状況において、ここの取組みは素晴らしいものだととても感動した。
キャンパスもすべて手づくり
ペットボトルで覆われたサッカーゴールとキャップで描かれた絵
蜘蛛もミッキー・ミニーも古タイヤ製
子どもたちがつくった作品
寄付者の名前と金額をドーンと掲示
2階から見た入口付近の様子
穏やかに遊ぶ子どもたち
教育こそが良い地域を、そして良い社会をつくる
今回はキリロムに赴く前の半日強を首都プノンペンで過ごして、カンボジアのことを考える視点を幾つか得たことがとても良かった。
フランス植民地化以降のカンボジアの苦難の歴史は知識としては頭に入れていたのだが、クメール・ルージュの凄惨な現場であったトゥールスレン虐殺博物館とチェンエクのキリング・フィールドを自分の目で見て、とてつもなく重苦しい気持ちになった(上記リンクすら閲覧注意)。ガイドしてくれたソワンさんは、クメール・ルージュが崩壊した1979年に15歳だったそうで、実際の殺人を幾つか見てしまったとのこと。
独裁あるいは専制体制による虐殺という点では、ラトビアのKGB博物館や占領博物館、エストニアの占領博物館、ワルシャワ蜂起博物館の記憶と、その大量さにおいてはアウシュビッツ・ベルケナウ博物館の記憶と重なった。
しかし、自国民による虐殺、そして実行犯の多くは10代の若い青年だったことが、カンボジアの悲劇を途方もなく悲しいものにしている。
フランス植民地化以後のカンボジアの年表
クメール・ルージュは専制政治による愚民政策の極致であり、知識の破壊が若者を暴力的な殺人マシーンに変え、結果として国を衰退させてしまった。これは意外と最近の出来事であるし、世界中で衆愚政治が伸長している昨今では必ずしも他人事ではない。
今でもカンボジアの大人で高等教育を受けた人はとても少ない。キリロム工科大学の学生の親は厳しい社会状況の中で育った世代であり、その息子や娘たちは(奨学金を得たことも手伝って)自ずと真剣に勉強する。
キリロム工科大学はカンボジアの未来のリーダーを輩出する教育機関であり、vキリロム・ネイチャーはその学びの場となる森林都市である。そして、(建築学部を追加する)教育の充実が新しい都市づくりを後押し、カンボジア社会を発展させ、いずれその果実は日本にも還ってくるだろう。
vキリロムの「v」はカンボジア語で「みんなの」という意味だそうだ。
ラトビアと重ね合わせながら、ライフワークになりそうな予感がし始めた。
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