大人の勉強に、答えはない。
攻撃化するSNS。
SNSを見ると、自分の考えを長々と述べている、そんなアカウントを多く見かけます。彼らは決まって一つの考えのみを支持しており、自分と考えが違う人がいると、これでもかというほど攻撃を行い、結果的に排除してしまいます。
驚きなのが、これが一つの考えに集中しているのではなく、正反対の二つの意見に対して、それぞれに正しいと思っている人が存在するということです。
僕は、彼らが主張する意見について、知識もなければあまり考えたこともないため、どちらが最もらしいことを言っているのかは分かりません。そもそも、どちらかが正しいのでしょうか。
誰かの意見が正しいとするとき、論理的に話し合えば間違った意見を持った人も気がつくはずです。そうなっていないのはなぜか。僕は、どちらの意見も正しくないのではないかと考えました。
答えなき問いに模範解答を。
僕たちは学生の頃、問いに対して答えを導くことが求められました。それは、先生が生徒に教えるという教育の性質上、仕方のないことです。そこでは、答えが用意されたのちに問いがつくられます。
しかし、社会に出るとどうでしょうか。そこには答えなど存在しない問いが溢れています。政治や人間関係、健康など、枚挙にいとまがありません。
これらの問いに対して、学生時代の勉強のように答えを求めるとどうなるでしょう。
それらしいことを書いている本や権威ある人の意見を、ただ一つの答えだと受け止めてしまって、その場から抜け出せなくなります。
これが、自分の考えに固執する原因ではないでしょうか。
自分の考えを持っている人というのは、おそらく勉強熱心な人なのでしょう。社会の問題に対して、自分なりにどうにかしたいと考えている、利他の心の持ち主であるはずです。それだけに、自分の考えが分からない人に対して許せなくなってしまうのではと思います。
僕もあなたも、なにも知らない。
僕たちは完璧ではありません。現代では情報が爆発的に増えていて、それら全てを網羅することなど到底できないでしょう。だからこそ、自分の考えが正しいと信じて疑わないという態度を見つめ直して、反対意見にも耳を傾けてみるという心がけが大事なのではないかと思います。
自分に謙虚に、他人を尊重する。そんな社会になれば良いなと、僕は考えています。そのために必要なことは、答えがない問いに対して考えて自分なりの意見を持つことだと思います。「僕はこう考えたんだけど、君はどう?」という風に、自分なりの意見をみんなで持ち寄って話し合うことができた時、それを民主主義と言うのではないでしょうか。
最後に、ここまで述べてきたことも僕の考えでしかありません。僕はこの記事を書きながら、頭の隅では間違っているかもしれないという疑いを持っていました。そのため、これはあくまで現段階での考えであり、今後正反対のことを主張する可能性があるということをご注意いただければと思います。読んでくださりありがとうございました。
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