リクルートスタッフィングの“最年少マネージャー”が魅入られた、幸せの連鎖を広げる仕事。──COO 米倉 元気
その会社を紐解くには、働く人をつぶさにとらえるのが近道だ。特に、アーリーステージのスタートアップならば。TAIANはブライダル・バンケットビジネスに特化したサービスやソフトウェアを提供するスタートアップだ。代表取締役の村田氏の情熱に魅入られ集まってきたメンバーは、どんなバックグラウンドを持っているのだろうか。この記事で焦点を当てるのは、TAIAN初の取締役である米倉元気氏だ。さて、彼のストーリーを紐解いていこう。
人気者の光と影。
持ち前のリーダーシップを身につけるまで。
株式会社リクルートスタッフィングで営業として好成績を残し、最年少でマネージャー就任という華々しいキャリアを積んだ米倉氏。このインタビューでは、なぜそのキャリアを捨ててTAIANの取締役になったのかをそのバックグラウンドから掘り下げていく。少々遠回りかもしれないが、まず幼少期にまで遡って、そのキャリア観を形成した重要なエピソードを追ってみよう。
「名は体を表す」という言葉があるが、名前のとおりの性格をした人間が生まれるのではなく、名前に導かれるようにしてあり方を会得していくのかもしれない。米倉氏の体験を聞いていると、彼自身がその名前に合わせていくように強さを身につけていったようにも感じられた。
茨城県取手市生まれ、本人の言うところの“ほどよい田舎”で幼少期からテニス、サッカー、ボーイスカウトを楽しんだ。次々興味を持ったことに取り組み、そのすべてが明るく、活発なものだった。さすがお名前の通り「元気」ですね、と言ってみると、「その名前が重圧になることもあったんですよ」と返す。例えば、人気者街道まっしぐらの人生に最初の影が差したのは中学時代だ。
「中学一年生の時、ささいなきっかけからいじめを受けたことがあります。クラスの誰も口をきいてくれなくなって。目の前が真っ暗になるような体験でした」
この時担任の教師に勧められた解決策は「生徒会長になること」。他のクラスの友人の後押しもあり見事生徒会長に抜擢。学校のルールづくりや行事などを企画し、いじめられっ子がみんなのリーダーに転身した。この時の経験が、そのキャリア観に大きな影響を与える。
「僕にはリーダーシップがあるのか、と気づいた瞬間でした。それまでどこか自分の名前に『元気』であることを強要されているような違和感がありました。けれど、大勢の人の前で話したり、自分の意思決定によって何かを変えられる“自由さ”になら、喜びを感じられることがわかったのです」
もともと活発で目立ちたがり屋だったという米倉氏。リーダーでいることが、彼が無理なく“元気”でいられる条件になったのだ。現在TAIANでいかんなく発揮されているリーダーシップはこうして会得された。
ビジネスにおけるテーマ、
「幸福観」を得たカンボジアでの経験。
もうひとつ、そのキャリア観を形作る重要なエピソードがある。大学時代に夢中になったボランティアサークルの活動だ。元サッカー選手の中田英寿氏の支援活動に憧れて、カンボジアへの経済支援のためにフットサルのイベントを開いたり、インフラ整備の支援などを熱心に行った。そこで得たのは、“幸福観”である。
「カンボジアの子供達とサッカーをしていると、裸足でぼろぼろのボールひとつを蹴っているのにとても楽しそうにしていることに気づきました。洋服も家もなくても笑顔でいっぱいの彼らと自分を比べてみると、自分がどれだけ幸せへの感度が弱いのかに愕然としました」
筆者には、この体験が彼のビジネスのテーマを見つけた瞬間であるように感じられる。それを示すかのように米倉氏が事業について語る時は必ず「幸せ」というキーワードが出てくる。
大学を卒業した米倉氏は、持ち前のリーダーシップを活かして就職活動を始める。数ある就職先の中から選んだのは、リクルートグループの人材派遣事業。せっかく就職するならば、いつか持ちたいと考えていた家族を幸せにできるだけの収入が見込めること、そして何よりもビジネスモデルを重視した。
「人材派遣は、転職支援などと違い、成約ではなく担当の派遣社員の稼働時間に対応したフィーが発生します。だからエージェントは派遣社員が長く仕事をつづけられるような支援をする。エージェントも、雇用主も、派遣社員も皆が幸せになれるビジネスモデルであることに魅力を感じました」
そして、そこで同期として出会ったのがTAIANの代表取締役村田だった。
最年少マネジャーに駆け上がるまでのリクルートスタッフィングでの日々と、TAIANとの出会い。
インタビュー記事の流れで行けば、ここで村田氏と意気投合したエピソードが欲しいところである。しかし、現実は少し違っていたようだ。
「新卒の同期は43人。皆優秀でしたが、その中でもものすごい売上を記録していたのが村田でした。けれど、めちゃくちゃ仲が良いというわけでもなくて。尊敬できる仲間といった感じで」
いつも一人で大きな売上を作っていたという当時の村田氏。一方の米倉氏は、「組織で売る」ことに長けていた。メンバーをつぶさに観察し、細やかな対話や声掛けでモチベーションを上げる。3年目の終わり頃には本人いわく「たまたま」チームのマネージャーになり、そのチームはみるみるうちに売上を伸ばし目標を達成した。
察するに、二人は、違う山を登る同志だったのだろう。登り方が違うから「めちゃくちゃ仲が良い」とはならなかったが、山頂が近づくたびにお互いの位置を見つめていたはずだ。その証拠に、マネージャーになって2年が経とうとする頃に村田氏からTAIAN入社のラブコールが届いた。一方でリクルートスタッフィングでの結果も積み上がっていた頃だった。その時のことをこのように語る。
「優秀な同期が続々と“卒業”していく中で、それならば自分は会社に残ってできることをやりきろうという強い思いがありました。そのまま会社で成果を出し続ければ出世もできるだろうと。村田はフルコミットで入社してほしいと誘い続けてくれましたが、副業で関わることに決めました」
こうして2020年にTAIANに副業として関わり始めた米倉氏。それをフルコミットに舵を切ったのが大きな転機である。どのようにその意思決定をしたのだろうか。
大きな意思決定のきっかけは村田氏の出産だったと語る米倉氏。TAIANの事業に少しずつ魅入られていたところに、代表取締役のライフステージの変化という大きな節目が訪れた。彼がまず考えたのは「このままでは、事業が止まってしまうのでは」ということだった。自分がフルコミットになれば、この局面も切り抜けられるだろう。そしてこの難局が、自身がTAIANの事業にい かに魅入られていたかを気付かせる起点にもなった。
「あの時、村田の右腕になろうという感覚はありませんでした。それどころか、僕の方がこの事業への解像度が高いとすら思っていました。きっかけは村田のライフステージの変化でしたが、それにより自分の中の『TAIANで経営をするという大きなチャレンジを成し遂げたい』という思いに火がついたのです」
かくして2022年、TAIAN初の取締役が誕生した。
幸せが連鎖する業界に魅せられて。
現在、米倉氏はTAIANの事業にどんな思いを抱いているのだろうか。「どんな事業でも楽しめるタイプです」なんて言っておいて、かなり熱い思いを抱いているようだ。その理由を紐解いてみると、なるほど、ここで“幸福観”が顔をだした。
「好きな人と一緒になりたいという気持ちや、誰かの幸せを祝うことはずっとなくならない根源的な気持ちです。ブライダル産業は、そんな皆の「幸せ」をビジネスで支える素晴らしい産業なのです」
愛情が深まれば、それだけ業界への期待も高まり、その課題解決にも人一倍思いを募らせる。
「ブライダル産業の大きな課題のひとつが、そこで働く人たちの労働環境です。誰かを幸せにしたいという気持ちで集まった人たちが、過酷な労働環境の中である種やりがいを搾取されてしまったり、非効率な業務に圧迫されてしまっている。社会にとって価値を出しているならば、お金を稼げるのは当然なはず。これまでの経験や知識を使って、TAIANの事業を通して業界を変えられるかもしれないと感じました」
先日、この記事の撮影で米倉氏がTAIANのメンバーと一緒にいるところを丸1日見ていた。いくつも靴やシャツを用意して、せっせと皆に食事を配って、冗談を言ってその場を明るいムードに変えていく。持ち前のリーダーシップでTAIANを引っ張るというのはこういうことかと、その仕草ひとつからつぶさに感じることができた。学生時代の辛い体験から会得してからずっと積み上げてきたリーダーシップ。そして、カンボジアの地で見つけた「幸せ」というテーマ。この2つが見事に相まって、その仕事を形作っている。
「やっぱりこの業界って素敵だなと思います。人材派遣業界にいた時は、この業界を変えたいなんて少しも思ったことはありませんでした。けれど、今はこの事業でどうにか業界を変えたいと思っているし、入社してくれるメンバーにも同じ思いがある。そのためにはこの会社がより大きくなり、利益を出し、存続する必要がある。経営者としてひと皮もふた皮も向けて、この事業を大きくしていくつもりです」
写真・文:出川 光(ノンブル社)
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