治承・寿永の乱(源平合戦)関連記事 「源頼政の墓」 2016年5月4日訪問
1180年、皇位に不満をもつ高倉宮以仁王を奉じ、平氏打倒の兵を挙げるも
宇治平等院で敗戦・自害した源頼政公の墓が宇治の平等院の敷地内にあります。
源頼政は頼朝とは系統を別にする摂津源氏の長で、75歳にして、源氏としては初めて従三位に任ぜられ「源三位」と称されました。
文武に優れた温和な人物といわれ、若い頃の「鵺(ぬえ)退治」伝説のほか、和歌の名手としても知られています。
頼政公は敗れましたが、この以仁王の令旨を奉じ源頼朝、源義仲らが各地で平氏打倒のため決起し、いわゆる源平合戦(治承・寿永の乱)となっていくのです。
*この記事は、2017年5月のFacebookへの投稿を編集したものです。
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