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ちいさなボヘミアン

人生は長い様で… 案外あっという間に過ぎていく

最近では生い先も短い気がしてきていて、コツコツと自分の身辺整理もしていたりもする。

コレクションしていた物も殆ど手放したし、友人関係も至ってシンプルに…

身の回りの何もかもを出来るだけ簡素にしているつもりでいる 

そんな中でやはり自分のこれまでを改めて思い出してみよう! という気になったのでこの場を使ってふり返ってみようとおもう。



1968年8月
スライ&ファミリーストーンが暴動を歌い、ジミ・ヘンドリックスがギターを燃やし、ジェームス・ブラウンがシャウトしていた頃、自分は生まれた。

小さな頃から音楽が大好きな子供だった。

JR駅前の比較的何でも揃う繁華街で育った自分は幼稚園の3年間にシングルレコードを45枚も買ってもらった(数えた記憶がある)近所にレコードストアが4~5軒はあった。

誕生日プレゼントもクリスマスプレゼントも、全てレコード盤(当時1枚¥500~¥600だった)

そして小さな頃から周りに外国人が沢山居る環境に育ち、幼稚園児の頃から英語のサークルに通わされた自分はアメリカ文化をつまみ食いばかりしていた少年だったと思う。

少年だった頃から自分はボヘミアンだった気がするけれど、それはこのアメリカ文化のせいでは無い。 でも、アメリカ文化は、その小さなボヘミアンに、自宅前の道、『フラワーロード』から夢へと旅立つ道筋を教えてくれた様な気がする。 このストリートから、今度はこのストリートへ… というように。

沢山のストリートを自分は通ってきた。

『楽しさ。輝かしさ。孤独。愛する喜び。切なさ。喪失。
成功。達成。挫折。』

いろんな色のストリートと沢山の交差点。
でも、そのストリートはいつだって自分が生まれたフラワーロードへ続いている。

記憶にある自分の最初の挫折は小学4年生の夏休み、
アメリカのサンフランシスコへ通っていた英語のサークルの仲間達と親元を離れてホームステイする事が決まり空港へ行った

何日間渡米する事になっていたのか?は分からないが、それまで楽しみにしていたのに、名古屋空港に到着した瞬間、何故か?親から離れる事が猛烈に寂しくなって空港でギャン泣きした。 (人生でいちばん泣いた記憶あり…

当時、1970年代… 当時何十万したのだろう……両親が積み立て預金をしていてくれた記憶も有り。

今、思うととんでもない金額だったのであろうけど、事の果てなんとドタキャンして空港から引き返して帰宅してしまった。 

母からも父からも何も怒られはしなかったが、(姉からは責められて虐められた記憶あり)とてつもなく悪い事をしたな… との思いが未だに有るのと同時に「あの時、もしアメリカへ行っていたならば、何か変わっていたのかな?」とも思っているし、未だに後悔している

日常的生活では、両親がスポーツ用品店を営んでいたので、水泳教室や少年野球に通いながら、姉が使う予定で自宅にあったグランドピアノを独り占めしてピアノも習ったりもした(小学校卒業とともにピアノ教室は部活を優先する為に終了)

その後、ボーカリストに憧れて、2台のステレオとマイクを使い、歌を多重録音してコーラスを付けて(6回重ね録りしたりしてハーモニーまで考えるやつ)遊んでいたりもした

同居していた祖母が画家だったので、画材を借りて油絵を独自のやり方で描いて遊んだりもした。
 

そんな幼少期を過ごしてきました

とりあえずの幼少期






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