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人は、そのルールで戦うことについて、納得してないと、その勝負で負けても、非対称な攻撃を仕掛けることができる
非対称戦
人は、自分の意思を通したいもので、普通は、そのためには勝負で勝たなければならない。
議論、喧嘩、裁判、戦争などいろんな勝負の場がある。
その中で、勝つために自分にとって有利な方法を選ぶ。
議論で勝てないと思ったら、暴力になることもあるし、非対称な攻撃を行う。
人は、そのルールで戦うことについて、納得してないと、その勝負で負けても、非対称な攻撃を仕掛けることができるということがいいたい。
たとえば、娘を殺された父親がいたとして、裁判の結果に納得行かなければ、その父親は加害者を殺すことだって可能なのだ。 一義的には、人間は自由で、物理的に可能なことはなんだってできる。お金を使えばもっと行動の範囲は広がる。
最終手段は、戦争だ。
戦争には、基本的にそれを上回る非対称手段というものがない*。すべての国民の生殺与奪権をもって、そこで終了。我が方のどんな意思も相手に強要することができる。
戦争も、専守防衛とか、核を使わないとか、正規戦に対しゲリラ戦を挑むとか、戦争内の非対称戦というのはいくらでもありうる。
それで、人はいくらでも非対称戦を挑めるわけだけども、それではキリがないし、最終的に核を相互利用して、人類全滅ということまでいってしまう。
それは、極端にしても、双方が納得いくルールの中で、暴力に至らないところで、話が収まることが最もよい。
双方に同じルールで最も納得行く結論を出して、一応の切りを付けて進む機関として、裁判所というものがある。なので、裁判所は、双方の話をよくよく聞いて、双方が納得(妥協)いく答えを出さなければならない。そしたら相手は非対称戦に移行するだけだ。
議論においては、自分の立場だけで批判しても相手には届かない。相手の意見の合理性を理解して、相手の土俵に立って論破しないと、納得感はなく、単なる力関係で決まってしまう。そしたら相手は非対称戦に移行するだけだ。
*テロや反政府活動がありますが、状況をひっくり返せるものではない。