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『夜の留守番』(超短編小説)
それは、当時7歳だった僕には大冒険のような時間だった。生まれて初めての留守番だったのだ。
「タカユキ。ごはんはテーブルの上に置いてあるからね。夜9時までには帰ってくるから。お父さんは8時くらいには帰ってくるから留守番よろしくね。大丈夫?」
「うん、大丈夫」
その日、母は高校の同窓会だった。母の化粧はいつもより濃くて顔が真っ白だった。服も箪笥の奥から引っ張り出してきたドレスみたいなのを着ていた。キラキラしている母の姿は、いつもの母じゃないみたいで好きじゃなかったけれど、すごく楽しそうに準備していたのを見て、なんだか僕もちょっとうれしかった。
「あらもうこんな時間。急がなきゃ。あっ、戸棚の上のクッキーと冷蔵庫のアイスクリームも食べていいからね」
「うん」
「じゃ、行ってきます」
「行ってらっしゃい」
僕は一人になった。母が出て行った後の家の中は、照明がついていて明るいはずなのに暗く感じた。カチッカチッという時計の針の音が少しずつ大きくなっていく。どこからかピーポーピーポーと救急車のサイレンが聞こえて、いつもより音が大きい気がする。ドアの向こう側とか、壁のくぼんだ部分とか、二階に続く階段とか、そこに隠れた闇が迫ってくるような感覚になった。12月は日が短く、午後6時であっても真夜中みたいに世界は黒くなる。
この家には、僕以外誰もいないのだ。いないはずなのだ。いるかもしれない。いたらどうしよう。たぶんいる。いると思う。いるに違いない。
7歳の想像力は際限なくふくらんでいく。
ドキドキして、僕はソファの上でしばらくじっとしていた。ソファの上に転がっていた怪獣ビバンゴの人形を手に取った。ビバンゴは凶悪な宇宙怪獣だけど、この時ばかりは頼れる友達なのだ。
「ビバンゴ!あの壁の向こう側を見てこい!わかった!いってくる!よしっいくぞ。しゅー、ぞぞぞぞ・・・」
右手にビバンゴを持って、僕はカウンターキッチンの裏側に少しずつ近づいていく。
「よしっ異常なしだ。ビバンゴ。あっクッキーを食べよう。クッキーは戸棚戸棚・・・あった」
チョコチップが入ったお気に入りのクッキーを食べる。上に投げて口でキャッチする食べ方もした。いつもなら行儀が悪いと言って母が怒るけど、今は誰にも怒られない。怒られないのにうれしくなかった。
テレビをつけようと思った。テレビをつけたらきっと寂しくないはずだ。
「あれ?」
リモコンのボタンが反応しない。電池が切れているのかもしれない。テレビのどこかにボタンがあるはずだと思ってテレビの裏側をのぞきこんだが、全くわからない。55型のテレビは画面だけじゃなくて背中も広くて、ボタンや穴のようなものが山ほどあった。適当にボタンを押すが何の反応もない。いろいろ試してみたがダメだった。いつも父と母が操作しているから僕にはわからないのだ。
ふと階段の方に目をやる。さっきより闇が僕の方に近づいたような気がする。ん?何かの気配がすると思って、振り向く。壁のくぼみの方から何かがこちらを見ている。
「キャーーーーー!」
「キャーーーーーー!」
「キャーーーーーー!」
大きな声を何度も出してみるが、誰も助けには来ない。そうだった。今僕は家に一人なのだ。
「ビバンゴォォォ。ピンチだ。出てこい!どこだ。おい味方だろう。あっ、さっきキッチンに置いてきたんだった」
もう一度見ると、壁のくぼみのところには何もいなかった。
「絵本でも読もう」と思って、テーブルの下に手を伸ばした。3冊ほど絵本が重ねて置いてあって一番上の絵本を選んだ。絵本のタイトルは「そこにいる。たしかにいる」だった。また「キャッ!」と声を出して本から手を離した。
照明はついているのに部屋はどんどん闇に包まれていく。僕はソファの上でブランケットを被って三角座りをしてできるだけ体を小さくした。
どれくらい時間が経っただろう。少しうとうとしはじめていた時、ドォーン!という雷の音で心臓がひっくり返りそうになった。大粒の雨が降り始めた。窓と壁と屋根を打ち付ける雨音が室内に響きわたる。ゴォォォォという雷の音は、まるで魔物のうめき声みたいだった。
なんだか泣きそうになったけれど、こらえた。寂しいのか怖いのかすらわからなかった。でも大丈夫だ。ブランケットを被っていれば何とかなる。こんな時にビバンゴは何をしてるんだ。僕は自然音の世界に耐えられなくなって明るい歌を口ずさんだ。
「ドォはドォナツのドォー、レエはレモンのレエー、ミーはみいんなのミー、ファアは・・・」
その時だった。「ピンポーン」とインターホンがなった。お化けか魔物が迎えにきたのかと、口の中がガタガタ震えてきた。すぐにもう一度、「ピンポーン」となった。ブランケットから出て、窓の前でそぉーっとカーテンをつかんだ。おそるおそるカーテンを少しだけめくって、隅の小さな隙間から窓の外をのぞく。
「・・・あっ、お父さんだ」
僕は夢中になって玄関まで走った。ドアを開けると父がずぶ濡れになって立っていた。
「おっ!」
「おかえりなさい」
「ただいま、タカユキ」
「おかえりなさい」
「ただいま」
「おかえりなさい」
「おい何回言うんだよ」
「おかえりおかえりおかえりなさい!!!」
何十回でも何百回でも言いたかった。
「タカユキお前、留守番ちゃんとできたか?」
「うん」
「怖くなかったか?」
「ぜんぜん怖くなかった!」
「そうか!よかった。お父さんちょっと服がびしょびしょだから洗面所からタオルとってきてくれ」
「うん!」
室内が明るくなった。照明ははじめから点いていたのに。
(了)
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![TAGO|タゴライン/コピーライター](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/50492222/profile_5029773f1924b0094b002cbb90e127e8.jpeg?width=600&crop=1:1,smart)