パリブルーの夜明けは夏蜜柑の香りがする

 意識が明瞭であり、かつその意識下において澄明な頭で考えていくことに対して、出典不明の嘔吐の予感がこみ上げてくる。目を伏せ、特別急行列車から下車し、ミルフィーユのように重なった環状首都高速道路と直交する橋を渡っていく。

 深い海の底へ潜っていくのと同時に、線対称として遥かな空の高みへ飛びたつ。世界中のありとあらゆる場面を目撃しようとする旅人たちの、膂力にあふれた手足を見るたびに、この橋を延々渡り続けることの重要性を自らに対して説き続けた。

 明らかに疲労したまぶたを重々しくしなだらせ、かつは鋭く研いだ犬歯を無用の長物として葬ることへの自己処罰的なあこがれに澱み沈んでいることこそが、現代における新しく困難な生のありかただと思い込むように他ならぬこの私を導き続けたのは誰か? しかしまたそれを解き明かすことのできない私自身が陥っている状況こそが、澄明な世界に目を見開いている旅人たちへの批判的な反動だと、これは明らかに誰かからインセプションされたのだ。

 誰がそこにいるのだ? 小花柄のカーテンの向こう、銀色の毛虫が這っている窓の向こう、誰が私の非澄明なあり方を望んでいるのか? 

 夏蜜柑の香りが立ち込める、パリブルーに染まった初夏の夜明け。四季を乗り越えるタスクによってもたらされる美しい心のあこがれは生への助走を打ち立てるであろうけれども、それと引き換えに、また別の生へと力強くスプリントしていく勇気を感じさせる夏蜜柑の夜明けを、連綿とつづくこれからの朝方に上塗りしていくことが、私はできるだろうか?

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