裁判所に持ち込めない真実【映画感想】プライマ・フェイシィ
TOHOシネマズ日本橋で今日から放映している、ナショナルシアターライブの『プライマ・フェイシィ』を見てきました。
タイトルの「プライマ・フェイシィ」ってどういう意味?とChat GPT先生に聞いてみた。
性暴力事件にあった主人公視点で見ている我々からしたら「一見したところで」有罪の事件だが、裁判という証拠と理論が物を言う場所で「一見したところで」どうなるのか。
なかなかキツい物語です。
劇場の男女比は女性の方が多かった印象で、主人公の女性が裁判の場で精一杯の言葉を使って男性の性暴力を訴える場面では、みんな食い入るように見ていた。
国は違えど、たとえ舞台作品で物語でフィクションだったとしても、人ごとではないという意識が劇場中に満ちていて、もはや傍聴席になってた。
一人芝居のこの舞台では、主演のジョディ・カマーが被害者から弁護士、裁判官まで全ての役を台詞や実況で演じている。小さな舞台の中でそれがちゃんと目に浮かんでくるのがすごい。正方形の舞台の中に生々しい事件現場も、緊張感に満ちた裁判の部屋も感じられる。
実際の裁判は、証拠集めや起訴など年単位の時間がかかるらしい。その間も事件を1番忘れたいであろう被害者は何度も記憶を掘り返さなくてはいけない。
そういう時間が100分ほどに凝縮されている本作品。その苦しみもしっかり100分に詰まりに詰まっていた。
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