見出し画像

恙きや凡々たる愛しき日々

恙きや凡々たる愛しき日々。

かれこれ、もう長いこと文章も書いていなければ、漫画のほうもお休みをもらっている。

今だけは。
この濃密な凪の中で、他愛もなく、晩御飯は何にしようかとか、昔流行ったこの番組は今見るとちょっとダサイなとか、この時間にやる映画はなかなか良いなとか言っていたいのだ。

そして、それらを全て私が独り占めして、どこにも発信したくないのだ。

毎日、毎日、家の中はポカポカとして、柔らかく、暖かい空気ばかりが充満している。

お父さんは勝手に、自分の寿命を決めつけているけれど、数値的にそんな事はなくて、お父さんが思っているより長く、私たちのやっとたどり付けた平々凡々とした、ポカポカとした日々はまだまだ続くだろう。

貯金を少しずつ切り崩しながらの暮らしではあるが、これまで一生懸命貯めた貯金を、使うだけの価値がこの暮らしには大いにあって、それがどのくらいの価値なのかと言うと、命と言うものの絶対的な価値、それに置き換えたら微々たるものなのだ。

私がお父さんに想うことも、日々の記録も残さない、愛しているとかどうだとか、お父さんにメールもしない、そういった文章を発表しない、そもそも書かない、それは、今の私たちが、もうそういった段階にはいないからだ。

夜一緒に布団に入り、軽口を叩き眠り、昼間お互い好きなことをしながらどうでもいい言葉を交わし、一緒にテレビを見たり、晩飯はやれ何にしようかと、大根にするか、芋にするか話したり、コロッケが食べたいなと言っては買うまでもないとか、コロッケ談義をしたり。

もうだいぶ前からだが、このポカポカとした我が家は、余計ポカポカとしてきて、今の私は何者でもなく、ただお父さんのことを好きなお父さんの連れ合いで居たいのだ。

1日1日と言うものは容赦がない。
私たちのカレンダーには、次の病院の予定が書いてある。
私たちは、その病院の検査結果と言うものに、ある種の人生の区切り、残された私たちの時間を知らされながら、毎年毎年生きてきた。

ここへ来て、お父さん自身が、様々な制限の中で生きることをやめて、残された時間を楽しみたいとそう思うのなら、そう生きているのなら、私の役目はいかに恙無く明るく楽しく日常と言うものをやり遂げるか、いつか最期と言う日が来るまで、変わらぬ日々をやり続けるか、それだけなのである。

もう愛の告白などはいらない。
難しいことを考えることもいらない。
それらは余計なものである。
無粋である。
何より、私たちが、お互いにお互いの胸中を受け入れつつ、1日と言う貴重な瞬間を紡ぎ合っているのだから。

この日々は、宝物である。
私だけが知っていればいい、宝物である。
私たちの日々の愛しさとその重さを、誰かに言うのは嫌だ。
ひそかに、私たちだけで分かち合いたい。

少なくとも、今は、私は何の職業の誰でもなく、ただ奥さんで、恋人で、連れ合いで、お父さんと枕を並べて眠り、1日を共にする、それだけの存在でありたい。

ここから先は

0字
月3本以上読まれたい方は、マガジンの購読をお勧めします。

25歳 上の夫(令和5年、77歳。重篤な基礎疾患があります)と私との最後の「青春」の日々を綴ります。

よろしければ、サポートお願いいたします!!頂いたサポートは夫やわたしの医療費や生活費に使わせて頂きます。