
令和6年12/26 あれもこれも食べたいとわがままを言ってくれ。
お父さんが入院中、腎臓が全く機能しておらず、長くはないでしょうと、というか、むしろ短い命でしょうと言われたことがあった。
その時、私が思った事は、命の長さはただ長けりゃいいってもんじゃない。
いのちの密度の問題だ。
そう思って、お父さんと接していた時期があった。
今、お父さんと、のんびりしながら、時々冗談を言って、お父さんのいわゆるこれが余生と言うのかな?あの世へ行く前に、まだまだ元気で、2人でのんびりできる楽しい時間、と言う貴重な時間を過ごしている。
入院中の時のあの、キリキリとした時間じゃなくて、本当に幸福なゆったりとした、リラックスした、お互いに好きなことをし、時々冗談を言い合い、一緒にテレビを見、早い話が、毎日日曜日みたいな時間である。
もちろん、命が切羽詰まってきたら、これまでずっとお父さんが我慢してきた『食べたいもの』は解禁である。
ただ、まだまだ、今と言う時間は、塩分もカリウムも正常値範囲で、ちょっと気をつけつつ、まぁこのくらいはいいだろうと言う食事の範囲は緩めた。
お父さんが退院してから、もうずっと、お父さんは味もしない美味しくない食事ばかりを食べてきた。
私の中の罪悪感とでも言うべきか、心残りと言うべきか、私がお父さんに生きてと、生きて欲しいがために、塩分6グラムと言う生活を強いたことが、私は胸が痛いのだ。
だから、12月の検査で、『お先』が見えてきたら、お父さんの食べたいもの、それらを心おきなく食べて欲しいと言うのが願いである。
一緒にいたかった。
まだまだ一緒に生きていたかった。
そんな私のエゴで、お父さんは食事と言う楽しみをずっと我慢し続けた。
私の心残りは、それなんだ。
鮭だってたらこだってお父さんに食べさせてあげたい。
だってお父さんは、そんな私のお願いを聞いて、食事と言う食事を我慢し、もう来年で7年になるが、食事の楽しみを一切捨てて生きてくれたのだから。
お父さん、もう食べよう、食べてもいいよ、好きなもの食べよう。
いつか私はそういうだろう。
そんなに遠くない未来かもしれない。
でも、その時私はきっと、とっても嬉しい気持ちになるだろう。
ごめんな。お父さん。
今まで我慢させてごめんな。
お父さんがお父さんの意思で、そろそろ数値的にもアレだし、食べてもいいか!
そういう日が来たなら、なんだってお父さんと食べる。
なんだって食べさせてあげたい。
テレビを見ながら、うまそうだなぁと言う、それを全部食べさせてあげたい。
私の人生に、食べると言う欲求の一切を放棄して、こんなに付き合ってくれてありがとう。
本当にありがとう。
死ぬ前に、必ず、頼むよ。お父さん。
わがままを言ってくれ。
あれが食べたい。これが食べたい。
そうじゃなきゃ、俺は浮かばれねーよ。
俺は鬼嫁のままになっちゃう。
食べたいものを食べたいだけ食べて、後は眠るように意識を遠ざけてしまっても、俺は食べてくれさえすれば、最後の俺の役目が果たせたと、胸を張って、お父さんをあの世に送り出せるんだ。
なぁ父ちゃん。
それだけは頼むな。
ここから先は

25歳上の夫・『お父さん』(ボビー)との日々
25歳 上の夫(令和5年、77歳。重篤な基礎疾患があります)と私との最後の「青春」の日々を綴ります。
よろしければ、サポートお願いいたします!!頂いたサポートは夫やわたしの医療費や生活費に使わせて頂きます。