父の「帰納法」
父は80歳を過ぎてすっかり認知症の症状が進み、2年ほど前からは私が娘だということが理解できなくなりつつあります。正確にいうと、父の頭の中では娘はまだ中学生なので、おばちゃんがやってきて「おとーさん」などというと「・・・こんなおばさんにお父さんと言われる筋合いはないだろう、うちの娘はどこだ?!」となるらしい。ええ、お宅のお嬢さん47歳になりましたけどね。
コロナ禍に施設入所となったため、面会できない期間も続き、会えても15分だけという時間の指定があったりして、父が娘を思い出すだけの時間の余裕が取れない日々が続きました。だいぶ世の中も落ち着き、久しぶりに施設でもイベントを開催するのでご家族もぜひ、と言われて母と一緒に父のところへ行ってきました。久しぶりに1時間ほど一緒にいると、父の気配が変わってくるのがわかりました。
私を見て、最初は「知らない中年女性?」→妻(私の母、なお父は母のことは自分の妻だと理解している)が「これは娘だ」と何度も言っている→本人(私)も「あなたの娘です」と言っている…極めつけは施設スタッフの皆さんが口をそろえて「アラーそっくり、娘さんに間違いないわ!」と。
敬老の日のイベントで、プロのカメラマンの方が家族写真を撮ってくださるということで、入所以来初めてマスクを外して父と私が並んだところ、スタッフの皆さんが「・・・そっくり」と。それを聞いた父が「そうかぁ、娘かあ」とまんざらでもない表情になりました。
なんだか、各方面うれしかった。
父が一瞬でも娘と認識したかもしれないこともうれしかったけれど、認知症の症状で父自身が娘がまさかここまで大きく(年齢も、まあ体型も)なっていることが理解できないのはこれはそういう病気ですからしょうがないことだと思っています。それよりも、スタッフのみなさんが父を尊重してくださっていることが伝わってきたのが本当にうれしかった。何もわからない認知症高齢者、という扱いではなく、「改めてお知らせしますね、この人、娘さんですよ」と、今の父の認知機能に合わせたかかわり方をしてくださっていると感じられました。そのやり取りで、父がスタッフの皆さんを信頼しているんだなということも伝わってきました。自分が信頼できる人の中で生活できていること。自宅にいる時よりも父の表情が和らいでいる様子なのもうれしかった。
父は、「妻」「本人」がそれぞれ娘だと言い、そしてスタッフの皆さんが「娘さんに間違いない」というのでこれは娘、と(今回は)納得したようです。これぞ帰納法と言ったら言い過ぎか。また次に面会に行ったら忘れているでしょうけれど。
父のこと、父の入所で独居になった母のこと、いつも頭の中に黒いもやのように心配があったのですが、いつも頭のどこかにもやがある状態は変わらないとしても、もやの色がパステルカラーになった気がします。父も、母も、それぞれ元気で過ごしているんだなと。
たまにこんなふうに短い文章をここで書いていこうかなと思って始めました。最初の話題に父、ネタの提供ありがとう。
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