「助けて」って、意外と難しい!
東北の豪雨災害に思いを寄せて
東北の豪雨災害で、大きな被害を受けられた皆様に心からお見舞申し上げます。ニュースの被害映像は、2018年の西日本豪雨で被害を受けた自分の町を思い出します。2018年もとても暑い夏でした。「晴れの国、おかやま」がまさか豪雨であれほどの被害を受けるとは、おおくの岡山県人は思っていなかったと思います。それも、一晩で、いや、数時間で。大変なのは、その後でした。心折れるような町の惨状、うだるような暑さの中にただよう災害瓦礫からの臭いと生ぬるい風で舞い上がる乾いた汚泥。見通しがつかず、言葉は無くし、時間が止まったような感覚。そして、夜は人の息遣いのなくなった暗い町。あれから4年、そこから這い上がるための長い年月。今朝の新聞は、西日本豪雨被災者のために作られた仮設団地の7か所目が撤去され、残り1団地になったと伝えています。やっとここまで復興したともとらえられますが、まだ困難な生活を強いられている被災者がいらっしゃると言うことです。これが、被災するという現実です。
これまでの災害支援を通して
私は、これまで東日本大震災や熊本地震も含め、様々な災害支援に関わってきました。その中で思うことは、「助けて」と言うことは、意外と難しいということです。被災地では、ボランティアの方にも頼って、復興への道筋を歩む方々もたくさんいらっしゃいます。しかし、中には、様々な事情を抱えて、辛い気持ちは呑み込んで言葉に出さず、希望を失っている方々もいらっしゃいます。そのような人たちが、誰かに「助けて」と言えるようになるまでには、かなりの時間と体力が必要になる事実に向き合ってきました。私自身もそうでした。実家が全壊した熊本地震の時は、罹災証明の手続きをしながらの支援活動の中、必死で自分を律していました。「強くなければならない」と。
ある日、ふとしたきっかけで、学生時代の思い出の曲を耳にした時、涙がせきをきったように溢れました。震災から3週間が経っていました。避難所の裏で全壊した実家を見ながら、一人、思いっきり泣きました。ひとしきり泣いたら心の緊張が一瞬にして緩みました。
我慢は必要ない
その時に、私は我慢する必要は何もないと悟りました。泣くことは恥ずかしい事でもなんでもない。助けてほしい時には、「助けて」と言えばいい。遠慮なく人の力を借りればいいと、自分に言い聞かせました。力になりたいと思っている人たちが周りにはたくさんいます。身体の疲れは痛みでわかります。しかし、心の疲れは自覚できないことを知っておく必要があると思います。
助けてほしい時に助けてと言えること。意外と難しいけれど、一度、そのハードルを越えたら、きっと違う道筋が見えてくるのではないでしょうか。その一歩は、その後の人生の大きな一歩に繋がっていると、私はあの時流した「涙」をその時流れた思い出の曲の歌詞とともに思い出しています。
♪♪ 喜びには、共に喜び。悲しみにはともに涙す・・・。
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